-シャーロック・ホームズの事件簿- 【短編集】全12作品 |
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初出誌 コリアーズ・ウィークリー 1924年11月号 ストランド・マガジン 1925年2/3月号
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初出誌 リバティ 1926年10月号 ストランド・マガジン 1926年11月号
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初出誌 ストランド・マガジン 1921年11月号
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初出誌 リバティ 1926年9月号 ストランド・マガジン 1926年10月号
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初出誌 ストランド・マガジン 1924年1月号
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初出誌 コリアーズ・ウィークリー 1924年10月号 ストランド・マガジン 1925年1月号
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初出誌 ストランド・マガジン 1922年2/3月号
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初出誌 ストランド・マガジン 1923年3月号
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初出誌 ストランド・マガジン 1926年11月号
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初出誌 リバティ 1927年1月号 ストランド・マガジン 1927年2月号
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初出誌 リバティ 1927年3月号 ストランド・マガジン 1927年4月号
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初出誌 リバティ 1926年12月号 ストランド・マガジン 1927年1月号
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まえがき私は、シャーロック・ホームズが、好意的な観客に甘えて何回も引退公演をしたがっている、老いた人気テノール歌手のようにならないか、心配している。こういう茶番はやめるべきで、実在の人物であれ、架空の人物であれ、退場の時期はわきまえなければならない。人は、想像上の人間が生きている奇妙な世界を夢想したがる。その不思議な矛盾の世界では、今も、フィールディングの伊達男たちがリチャードソンの美女に求愛し、スコットの主人公は胸を張って歩き、ディケンズのロンドンっ子は笑いを誘い、サッカレーの現世主義者たちは、いかがわしい経歴を追い求めている。こんな世界の片隅なら、きっとシャーロックとワトソンも、しばらくは居場所があるだろう。その間に、もっと鋭い探偵と、それより鈍い相棒が、舞台の穴を埋めるかもしれない。 ホームズの探偵歴は長いので、実際以上に誇張されることもある。かなりご高齢の紳士がやってきて、子供のころによくホームズの冒険物語を読んだ、と言われても、ご本人が期待するほどありがたくはない。自分の履歴をぞんざいに扱われて、いい気がする人はいないだろう。冷徹な真実として、ホームズが登場する「緋色の研究」と「四つの署名」という小冊子は、1887年から1889年に出版された。長く続くことになった短編の第一作「ボヘミアの醜聞」がストランド・マガジンに掲載されたのは1891年である。これは読者の人気を博したようで、新作の要望があったため、39年前のこの年から、中断をはさみながら、今や56作にもなった本シリーズは、すでに「冒険」「回想」「帰還」「最期の挨拶」として単行本出版されているが、最近の数年に書いた12作品を「シャーロック・ホームズの事件簿」というタイトルで出版することになった。ホームズの活動はヴィクトリア朝後半の絶頂期に始まり、短命すぎたエドワード朝を駆け抜け、そしてこの慌ただしい現在でもまだなんとか生きながらえている。したがって、若いころに初期のホームズを読んだ読者の子供が成長し、同じ雑誌で同じ探偵物語を読んでいることはありえるだろう。これは、イギリスの読者がいかに忍耐と忠誠を持っているかを示す驚くべき実例だ。 私は「回想」でホームズを終了させることを固く決意していた。それは、文学のエネルギーをひとつの分野に集中させるべきではないと思ったためだ。あの、色白く彫りの深い顔と、活動的な肉体は、私の想像力を必要以上に奪っていたのだ。あのような結末にしたものの、さいわいにも死体を検査して死亡宣告した検死官がいなかったため、長い中断のあと、熱心な読者の要望にこたえて、早まった決断を修正することは難しくなかった。私は彼を復活させたことを決して後悔しなかった。というのは、実際のところ、この軽い小作品によって、史実、詩文、歴史小説、心霊研究、劇作などの文学活動に支障をきたすことはなかったからだ。ホームズが存在しなかったとすれば、今ある以上の結果を残せなかったと思う。しかし、ホームズが私のもっと真剣な著作の理解の妨げになっていることも、たぶん間違いないだろう。 だから読者の皆さん、シャーロック・ホームズにお別れを!私は、これまでのご愛読に感謝し、読者が日常生活の苦難をしばし忘れ、想像上の冒険世界ならではの気分転換ができたことを、切に祈っている。 アーサー・コナン・ドイル | ||