コンプリート・シャーロック・ホームズ
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我々がメリロー夫人の家の前で馬車から降りた時、質素で奥まった家の開いた扉を塞ぐように太った女性が立っていた。彼女の最大の関心事が大事な下宿人を失わないようにする事だというのは、非常に明らかだった。だから彼女は我々を案内する前に、好ましくない結果につながりそうな事は何もしないようにと懇願した。彼女にそれを約束して安心させ、私たちは彼女の後から汚い絨毯を敷いてあるまっすぐな階段を上り、謎の下宿人の部屋に案内された。

居住者がほとんどそこから出ないので、予想通りむっとするかび臭い換気の悪い部屋だった。動物達を檻に閉じ込めていた報いで、この女性は何らかの天罰を受け、彼女自身が檻の中の獣になったように思えた。彼女はこの時薄暗い部屋の隅にあった壊れた肘掛け椅子に座っていた。長い間の運動不足で彼女の体の線は崩れていたが、しかしかつてそれは非常に美しかったに違いなかった。そしていまだにはちきれそうで官能的だった。分厚い黒のベールが顔を覆っていた。しかしそれは上唇の近くで切り取られ、理想的な形の口元と繊細な顎の丸みを見せていた。私は容易に、彼女が本当に目を見張るような女性だったと想像する事ができた。彼女の声もいい高さで、心地よい響きだった。

「私の名前はあなたには聞き覚えがあるでしょう、ホームズさん」彼女は言った。「それで来ていただけると考えました」

「その通りです。しかし私が分からないのは、どうして私があなたの事件に興味を持っていることをお気づきになったのかです」

「私が健康を回復して地方警官のエドマンズさんの取調べを受けた時に知りました。彼に嘘をついた事が残念です。おそらく真実を話していた方が賢明だったのでしょう」

「大抵の場合、真実を話すことは賢明です。しかしなぜあなたは彼に嘘をついたのですか?」

「別人の運命がそれにかかっていたからです。彼が非常にろくでなしの人間だということは分かっています、それでも、彼の破滅でやましい気持ちになりたくなかったんです。私たちは非常に親しかったので、 ―― 非常に親しかったんです!」

「しかしその障害は取り除かれたのですか?」

「そうです。私が言っている人物は死にました」

「それではどうして知っている事を警察に話そうとしないんですか?」

「もう一人考えなければならない人物がいるからです。それは私自身です。警察に捜査されれば巻き起こるスキャンダルと好奇心に私は耐えられません。私の命はそう長くありません。でも穏やかに死を迎えたいのです。それでも、私はこの恐ろしい話をして、判定を下す人を見つけたいと思いました。私が死ぬ時、すべてを理解してもらえるように」

「それは光栄です。それでも、私は責任ある人間です。あなたのお話を聞いて、内容次第ではその事件を警察に委ねる責任があると思うかもしれません。そうしないとは、お約束しかねます」

「そんな事はなさらないと思います、ホームズさん。何年もあなたのお仕事を見てきましたので、あなたの性格もやり方も非常によく存じております。読書は運命が私に残したただ一つの喜びですので、世間で起きている事はほとんど見逃しません。しかしどちらにしても、私はあなたが私の悲劇を理解してくれるという運にかけてみるつもりです。それをお話することで私は安心したいのです」

「ワトソンと私が喜んでお伺いしましょう」

女性は立ち上がり、引き出しから一人の男性の写真を取り出した。彼は明らかにプロの曲芸師だった。見事な体格をして、太い腕を盛り上がった胸の前で組んだポーズで、ふさふさした口ひげの下で笑みがこぼれていた。多くの女性をとりこにした人間が見せる自己満足の笑みだった。

「それがレオナルドです」彼女は言った。

「証言をした、怪力男のレオナルドですか?」

「そうです。そしてこれが、 ―― これが私の夫です」

恐ろしい顔だった、…人間豚…というより恐ろしい野性から見てむしろ人間猪か。人は、この男の卑しい口が怒りに歯噛みしたり、泡を飛ばすところが目に浮かび、この小さい凶暴な目が見るもの全てに、混じり気のない悪意の視線を投げかける場面が想像できるだろう。悪党、弱いものいじめ、野獣、 ―― これらの言葉がすべてエラの張った顔に書いてあった。

「この二つの写真が話を理解するのに役立つと思います。私はおがくずの舞台に連れてこられた貧しいサーカスの少女でした。十歳になる前に輪をくぐってとんぼ返りをしていました。私が大人の女になった時、この男が私を愛しました。あの男のあんな情欲が愛と呼べるならですが。そして魔が差したとしか言いようがありませんが、私は彼の妻になっていました。その日から私は地獄の中にいました。そしてあの悪魔は私を痛めつけました。一座の中で彼の行動を知らないものは一人もいませんでした。彼は他の人間から私を隔離しました。私が文句を言うと、縛り付けて乗馬鞭で打ちました。みんなが私に同情して、夫を憎みました。しかし彼らに何ができたでしょうか?彼らは一人残らず夫を恐れていました。彼は常に手に負えない状態で、酒を飲むと残虐になりました。何度も何度も彼は暴行と動物虐待で訴えられました。しかし彼は金をたんまりと持っていて罰金など何でもありませんでした。いい男達は全員辞め、ショーは落ち目になり始めました。頑張っているのはレオナルドと私だけでした、それと、ピエロのジミー・グリッグズです。彼は、可哀想に、楽しい事は大して無いのに、事態を収拾するためにできる限りのことをしていました」

「その後、レオナルドは私の人生にどんどんと入り込んできました。彼の外見はお分かりでしょう。今ではこの素晴らしい肉体に情けない精神が隠されていた事が分かっています。しかし私の夫と比べれば彼は天使ガブリエルのように思えました。彼は私を気の毒に思って助けてくれました。最後に私達の親交が愛に変わるまで、…深い、深い、熱烈な愛、私が夢に見ても、決してかなえられるとは思わなかった愛です。夫はそれを疑っていました。しかし彼は弱いものいじめをするのと同じくらい弱虫だったと思います。そしてレオナルドは彼が恐れていたただ一人の男でした。夫は私をそれまで以上にいたぶる事で彼なりの復讐をしました。ある晩、私の叫び声にレオナルドは私達の幌馬車の戸口まで来ました。あの夜はあわや殺される寸前まで行っており、そしてすぐに私の恋人と私はそれが避けられない運命だと分かりました。夫は生きる値打ちのない人間でした。私たちは夫の殺害を計画しました」

「レオナルドはずる賢い策略に富んだ頭脳を持っていました。これを計画したのは彼でした。私は彼を非難するためにこう言うのではありません。私は彼のやり方にぴったりとついていこうと思っていましたから。しかし私にはあんな計画を考え出す知恵は全くありませんでした。レオナルドは自分で棍棒を作り、鉛を仕込んだ頭に、五本の長い鉄釘の先をライオンの足の幅ちょうどになるように出して固定しました。これで夫を打って致命傷を与え、それからライオンを放してその仕業にする計画でした」

「夫と私がいつものようにライオンに餌をやるために出かけたのは真っ暗な夜でした。私達はブリキのバケツに生肉を入れて運んでいました。レオナルドは檻に行くまでに必ず通りすぎりる大きな幌馬車の角で待ち構えていました。彼はタイミングが遅すぎて、私達は彼が殴りかかる前に通り過ぎてしましました。しかし彼は私達をそっと追いかけ、棍棒が夫の頭蓋骨を砕く音が聞こえました。その音を聞いて私の心臓は喜びに弾みました。私は前に駆け出して大きなライオンの檻の扉を閉めている掛け金を外しました」

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「その時、あの恐ろしい事が起きました。こういう動物がどれほど素早く人間の血の臭いを嗅ぎ分けるか、そしてどれほど興奮を掻き立てられるか、お聞きになったことがあるかもしれません。何か不思議な本能でこの動物は瞬間的に一人の人間が殺されたと分かっていました。私が閂をずらしたとき、一瞬のうちに、ライオンは飛び出してきて私にのしかかりました。レオナルドは私を助ける事が出来たはずです。もし彼が前に飛び出してライオンを棍棒で打ち付けていれば、ライオンはひるんだかもしれません。しかしあの男は尻込みしました。私は彼が恐怖に叫び声を上げるのを聞きました。その後、彼が振り返って逃げるのが見えました。その瞬間、ライオンの歯が私の顔を噛みちぎりました。その熱く生臭い息で、私はすでに朦朧として痛みをほとんど感じませんでした。両手の平で、私は大きな湯気を上げている血まみれの顎を押し離そうとしました、そして私は悲鳴を上げて助けを呼びました。私は野営地がざわざわするのに気づきました。その後ぼんやりと男が集まってきたのを覚えています。レオナルド、グリッグズ、それ以外の人が、ライオンの足の下から私を引っ張り出しました。それが私の最後の記憶で、それから何ヶ月というもの私は昏睡状態でした。私が意識を取り戻し、鏡で自分を見た時、私はあのライオンを呪いました、…ああ、どれほど呪ったことか!私から美を噛みちぎった事でなく、私の命を噛みちぎらなかった事をです。私の望みは唯一つでした、ホームズさん。そして私はそれをかなえる十分なお金を持っていました。それは私の惨めな顔を誰にも見られないように隠し、知っている人が、誰も知らない場所に住むことです。私にできる事として残されたのはそれが全てでした、… そして私はそのようにしてきました。哀れな傷ついた獣は死ぬために巣穴に這って行きました… これがユージニア・ロンダーの最期です」