ライオンのたてがみ 4 | ライオンのたてがみ 5 | ライオンのたてがみ 6 |
しかしその調査にはうっとおしい邪魔が入った。私が早朝のお茶を飲んで浜辺に行こうとした矢先、サセックス警察のバードル警部がやってきた。どっしりした立派な体格で、考え込んだ目をした、牛のようにもっさりした男が、私を不安げな表情で見た。
「あなたが非常に経験豊富なことは知っています」彼は言った。「もちろん、これは完全に非公式ですので、他には言わないでください。しかしこのマクファーソンの事件には本当に苦慮しています。問題は、逮捕するかどうかなんですがね?」
「イアン・マードック氏のことですか?」
「ええ、そうです。いくら考えても、他の人間はまったくいません。この辺鄙な場所の有利な点ですが。我々は非常に狭い範囲に絞り込めます。彼以外に犯人はいないでしょう?」
「何か彼に容疑をかける理由があるのですか?」
彼は私と同じ場所で手がかりを集めていた。被害者の周りにはマードックという人間と謎がまとわりついているように思えた。マードックの逆上しやすい性格は、犬の事件ではっきりしていた。彼がかつてマクファーソンと口論をした事という事実があり、そして彼はマクファーソンがミス・ベラミーに興味がある事を不愉快に思っていたかもしれないというのは十分に根拠のある話だ。警部は私の着目点をすべて押さえていたが、目新しいものは一つもなかった。ただ、マードックがこの場所から離れるために着々と準備をしているようだというのは新しい情報だった。
「これだけ不利な証拠がある彼を逃がしたら私の立場はどうなるでしょう」大柄で鈍重な男は心の中でひどく思い悩んでいた。
「考えてください」私は言った。「あなたの考えには本質的な問題点があります。犯罪が起きた朝、彼には間違いなくアリバイがあります。彼は最後まで学生と一緒でしたし、マクファーソンが現れてから数分とたたずに、我々の後から来ました。それに、マクファーソンのように極めて頑健な男を、彼がたった一人であんな目に合わせる事は絶対に不可能だったということを忘れないでください。最後に、あの怪我を負わせた凶器の問題があります」
「懲罰用ムチや柔軟な狩猟ムチみたいなもの以外にありますか?」
「怪我の跡を調べてみましたか?」私は尋ねた。
「私は見ました。医者も同じです」
「しかし私は拡大鏡で非常に入念に調査しました。あの傷には独特な点があります」
「どんなものですか?ホームズさん」
私は整理棚に歩いていき、拡大写真を取り出した。「これが、こういう場合の私のやり方です」私は説明した。
「あなたは本当に徹底的なやり方をしますね、ホームズさん」
「もしそうしなければ、私じゃないですからね。この右の肩を回って伸びているみみずばれについて考えて見ましょう。何も変わったものは見えませんか?」
「分かりません」
「間違いなく、この傷は全体が同じ強さではありません。ここに出血点があります。そして別のがここにも。下のこの部分の別のみみずばれにも似たような兆候があります。これはどういう意味でしょうね?」
「なにも思いつきません。あなたはどうなんですか?」
「今はなんとも言えません。すぐにそれ以上の事が言えるようになると思います。なんであれ、この傷跡がどうして出来たかをはっきりさせる事が出来れば、犯人に非常に大きく迫れます」
「これはもちろん馬鹿げた考えですが」警官が言った。「しかし赤く焼けた金網を背中に押し付ければ、この強い傷跡は、針金がお互いに交差しているところに当たりますね」
「素晴らしい比喩ですね。もしくは、非常に硬い九尾の猫鞭にくくり目がついたものとでも言った方がいいでしょうか?」
「これは、ホームズさん、まさにそれだと思います」
「それ以外にも全く違った原因があり得ます、バードルさん。しかしこの事件は逮捕できるほど、はっきりした証拠がありません。それに、死に際の言葉があります。『ライオンのたてがみ』という」
「イアンではないかと思っていましたが・・・」
「ええ、それは考えました。もし二つ目の単語がマードックに少しでも似ていればね。しかしそうではありませんでした。彼はほとんど叫ぶように言いました。その単語が『たてがみ』だということは間違いありません」
「他の可能性はないのですか?ホームズさん」
「もしかするとあるかもしれません。しかし何かもっとはっきりした証拠がない限り話す気にはなれません」
「それはいつ頃手に入れられそうですか?」
「一時間、もしかするともっと短いかもしれません」
警部はあごを擦って疑わしそうな目で私を見た。
「あなたの心の中が分かったらなあと思いますよ、ホームズさん。もしかするとあの漁船ですかね」
「いいえ、あれは遠すぎます」
「そうですか、それでは、ベラミーと彼の大きな息子ですか?マクファーソン氏には好感情は抱いていませんでした。彼らがマクファーソンに危害を加えたんでしょうか?」
「いえ、いえ、準備が出来るまでは何も聞き出せませんよ」私は笑顔で言った。「さあ、警部、我々はお互いにやる仕事があります。多分、正午にここで私と会えば・・・」
話がここまで来たとき、とんでもない割り込みが入った。それが結末の始まりだった。
外側の扉がぱっとひらかれ、廊下をつまづきながら歩いてくる足音が聞こえた。そしてイアン・マードックがよろよろと部屋に入ってきた。青白く、髪は乱れ、服装は非常に乱雑で、骨ばった手で家具をわしづかみにして、やっとのことで立っていた。「ブランディー!ブランディー!」彼はあえぎ、うめきながらソファに倒れこんだ。
彼は一人ではなかった。彼の後ろからスタックハーストが入ってきた。帽子もかぶらず息を切らし、マードックとほとんど同じくらい混乱していた。
「早く、早く、ブランディーだ!」彼は叫んだ。「彼は命の瀬戸際だ。ここに連れてくるのが精一杯だった。途中、二度気を失った」
タンブラー半分のブランディーが驚くべき効き目を見せた。彼は片手をついて体を起こし、コートを肩から振り落とした。「頼む、油、阿片、モルヒネ!」彼は叫んだ。「何でもいいから、この地獄の苦しみを和らげるものをくれ!」
警部と私はその姿を見て声を上げた。そこに、彼のあらわになった肩に十字の奇妙な網目状の赤い炎症を起こした線があった。フィッツロイ・マクファーソンの死体に残されたものとまったく同じだった。
その苦痛は明らかに激しく、傷の部分だけでは収まらなかった。被害者の呼吸は一度止まり、顔が黒くなり、それから大きなうめき声をあげて、手で心臓を叩いた。その間彼の額からは汗が玉になってしたたり落ちた。いつ絶命するか分からなかった。どんどんと喉にブランディーが注ぎ込まれ、新しく注ぎ込まれるたびに生命が引き戻された。サラダオイルを染み込ませた脱脂綿が、奇妙な傷の痛みを和らげるようだった。ついに頭がどっとクッションに倒れた。生命力が枯渇し、余計なエネルギーを使う余裕がなくなったのだ。半分眠り、半分意識を失った状態だった。しかし少なくとも痛みからは開放された。
彼に事情を尋ねる事は不可能だった。しかし命に別状がないと分かった瞬間、スタックハーストは私の方に向き直った。
「信じられません!」彼は叫んだ、「何なんでしょう、ホームズさん?何なんでしょう?」
「どこで彼を見つけたのですか?」
「浜辺です。マクファーソンが死んだまさにその場所です。もし、この男の心臓がマクファーソンと同じくらい弱かったら、今ここにはいなかったでしょう。彼を運んでくる間、何度も私はもう死んだと思いました。ザ・ゲイブルズには遠すぎたので、あなたの家に向かいました」
「彼が浜辺にいる所を見たのですか?」
「叫び声が聞こえた時、私は崖の上を歩いていました。彼は酔っ払いのようにふらふらして水辺のすぐ側にいました。私は駆け下り、服をかぶせ、引っ張り上げました。お願いですから、ホームズさん、この場所から呪いを排除するために、あなたのあらゆる能力を使い、やれる事はなんでもやってください。こんな生活はもう我慢できません。あなたの世界的名声を持ってしても、何もできないのでしょうか?」
「できると思いますよ、スタックハースト。すぐ、私と一緒に来てください!警部、あなたも一緒に!我々がこの殺人犯を警察の手に引き渡す事ができないかどうか、わかりますよ」
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