コンプリート・シャーロック・ホームズ
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その夜遅く、私はベーカー街に戻って私の任務の説明をした。ホームズは痩せた体を椅子に深く腰掛けて体を延ばして寝そべっていた。パイプから刺激臭のする煙草の煙の輪が巻き上がっていた。彼のまぶたは非常に物憂げに垂れ下がり、ほとんど眠っているようだった。しかし、私が言いよどんだり、疑問のある部分が出てくると、まぶたが半分開き、二つの灰色の瞳が剣のように輝き、鋭く探るような眼差しで私をにらみつけた。

「ジョサイア・アンバレーの家の名前はザ・ヘイブンだ」私は説明した。「君も興味を持つと思うよ、ホームズ。あたかも窮乏して下層社会に身を落とした貴族みたいに見えた。あの一角は知っているだろう。退屈な郊外の幹線道路沿いの、単調なレンガ造りの家が並ぶ通りだ。その真っ只中に、古代の文化と快適さがぽつんと島になったように、この古い家がある。高い日干し煉瓦の塀に囲まれて、所々地衣類が生え、上は苔で覆われている。この塀は、あたかも・・・」

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「詩情は省略してくれ、ワトソン」ホームズが厳しく言った。「要するに高い煉瓦塀ということだな」

「その通りだ。私はもし、通りで煙草を吸っている暇そうな男に尋ねなかったら、きっとあれがザ・ヘイブンだと分からなかったに違いない。この男にはちょっと触れておく必要がある。彼は背の高い、黒髪の、濃い口ひげを生やした男だった。ちょっと軍人風の男だ。彼は私が訪ねると顎で指して答え、奇妙な問いただすような視線を投げかけた。ちょっと後で私はそれを思い出す事になった」

「アンバレー氏が馬車道に下りてくるのが見えた時、私はほとんど門をくぐっていなかった。私は今朝彼をちょっと見かけただけだったが、それでも彼は変わった人間だという印象を持った。しかし彼を太陽の下で見た時、彼の外見はもっと異常だった」

「僕はもちろん仔細に観察したが、それでも君の印象は是非聞きたいな」ホームズが言った。

「彼は私には文字通り苦労で背中が曲がった男のように見えた。彼の背中は重い荷物を運んでいるみたいに湾曲していた。しかし彼は私が最初に想像したほど病弱ではなく、彼の肩と胸部は巨漢のようにがっちりしていた。とはいえ彼の体の線はだんだん細くなって下半身は棒のような足だったが」

「左の靴に皺がよっていて、右は滑らかだった」

「それは見ていなかった」

「まあ、見ないだろうな。僕は義足だと分かった。しかし、続きを話してくれ」

「僕はぎょっとしたよ。古い麦藁帽子の下からうねって出ている白髪交じりの髪が蛇のようで、それに、深く皺がよった恐ろしく熱心な表情の顔をしていたからね」

「結構だ、ワトソン。彼は何を話した?」

「彼は自分の憤まんをどっと話し始めたよ。我々は馬車道を一緒に歩いて行った。もちろん私はあたりをじっくり見回した。あんなに手入れの悪いところは見たことがない。庭は荒れ放題で、私には途方もなく手抜きをしているという印象があった、そこで、植物は人間の手を離れて自然の法則に委ねられていた。まともな女性があんな状態に我慢できただろうかは、私には分からない。家もこれ以上ないくらい手をかけていなかった。しかし哀れな男は自分でもそれに気付いているようで、それを改善しようとしていた。ホールの真ん中に大きな緑のペンキ缶が置かれていて、彼はずっと分厚い刷毛を左手に持っていた。彼は木の部分にペンキ塗っていたんだ」

「彼は私を奥の自室に連れて行き、そこで長い話をした。もちろん、彼は君が来なかったことを残念がっていた。『ほとんど期待はしていませんでしたがね』彼は言った。『私のようにつまらない個人が、特に経済的に大きな損失を蒙った後では、シャーロックホームズ氏のように有名な人の完全な注目を引く事ができるなどとは』

「私は彼に支払いに疑問があったわけではないと請合った。『そうでしょう、もちろん、彼には芸術のための芸術ですね』彼は言った。『しかし犯罪の芸術的側面についても、ここに来て調査するべきものがあったかもしれない。そして人間の性格についても、ワトソン先生、 ―― 全くの忘恩そのものです!いつ、私が彼女の言う事を聞かなかったことがあったでしょうか?あんなに好き勝手をした女性がいたでしょうか?そしてあの若い男、 ―― 私の息子でもおかしくなかった。彼は私の家にしょっちゅうやってきていた。それなのにあいつらが私にしたことといったら!ああ、ワトソン先生、恐ろしい、恐ろしい世の中です!』」

「こんな愚痴を一時間かそれ以上も聞かされたよ。彼はどうやら密通を全く疑っていないようだった。彼は昼やってきて夕方六時に帰る女性を除いては一人暮らしだった。問題の夜、アンバレー老人は、妻を楽しませたいと思って、ヘイマーケット劇場のアッパーサークル席をペアで購入していた。行く直前になって、彼女は頭痛がすると言い出して行こうとしなかった。彼は一人で出かけた。この事実に関して、疑いはなさそうに見えた。彼は妻のために買っていて使わなかった入場券を差し出したからだ」

「それは注目すべきだ ―― 非常に注目すべきだな」ホームズが言った、この事件に対する彼の興味は増しているように見えた。「続きを話してくれ、ワトソン。君の話は非常に注目に値すると分かった。自分でその入場券を調べたのか?もしかして、その番号を覚えてないか?」

「たまたま覚えている」私はちょっと自慢気に言った。「偶然私のかつての学生番号と同じ31番だった。だから僕の頭に染み付いている」

「素晴らしい、ワトソン!彼の席は、そうすると、30か32だな」

「まさにそうだな」私はちょっと秘密めかして答えた。「そして列はBだ」

「申し分なしだ。他に彼は君に何の話をした?」

「彼は自分でそう名づけた金庫室という部屋を見せた。それは本当に金庫のようだった。銀行にあるような、鉄扉と鎧戸がついたやつだ。彼は盗難予防だと言っていた。しかし、女性は合鍵を持っていたようだ。そして二人は協力して、約7000ポンドの価値のある現金と有価証券を持ち出した」

「有価証券!どうやってそれを処分できるんだ?」

「彼は警察に一覧を渡したと言っていた。だから彼は売れないだろうと期待している。彼は劇場から真夜中頃に戻ってきて、略奪されているのに気付いた。扉と窓は開いていて、彼らは逃げていた。手紙もメモも残っていなかったし、それ以降、彼は消息を聞いていない。彼はすぐさま警察に通報した」

ホームズは数分間考え込んだ。

「彼はペンキ塗りをしていたということだな。どこを塗っていたんだ?」

「そうだな、廊下を塗っていた。しかし彼は既に僕が話した部屋の扉と木部を塗り終えていた」

「こんな状況では奇妙な仕事をしていると思わなかったか?」

「『辛い気持ちを慰めるのに、何もせずにはおられん』彼自身はこんな風に説明していた。もちろん奇妙だよ。しかし彼は明らかに奇妙な男だから。彼は妻の写真の一枚を私の目の前で破り裂いた ―― 狂ったように怒りに任せて引き裂いた。『忌々しい妻の顔など二度と見たくない』彼は金切り声で言った」

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「他には何かあるか、ワトソン?」

「ああ、何よりも私がギクリとした事がある。私はブラックヒース駅まで馬車で行き、そこから列車に乗った。ちょうど列車が発車し始めた時、一人の男が私の隣の客車に飛び乗るのが見えた。私が顔を見分けるのが素早いのは知っているだろう、ホームズ。あれは間違いなく、私が通りで話しかけたあの背の高い黒髪の男だった。私は彼をロンドンブリッジ駅でもう一度見かけた。その後人ごみで見失ったが。しかし、私は彼がつけてきていたと確信している」

「それは間違いないさ!」ホームズが言った。「背が高く、黒髪で、ふさふさとした口ひげの男、そう言ったね。灰色のサングラスをかけていたな?」

「ホームズ、君は魔法使いか。それは言わなかったが、彼は灰色のサングラスをしていた」

「フリーメーソンのタイピンをしていたか?」

「ホームズ!」

「簡単至極な事だ、ワトソン。しかし現実的な問題に戻ろう。僕は君に認めざるを得ない。この事件は、僕には馬鹿げているほど単純に見え、注目をする値打ちはほとんどないと思えたが、急速に非常に違った様相を見せ始めている。とはいえ君が任務の中で重要な事を全て逃したのは事実だ。それでも、君の情報から重大な懸念が自らその姿を現している」

「私が何を見逃したんだ?」

「気を悪くしないでくれ、ワトソン。僕が意見に手心を加えないのは知っているだろう。僕以上に上手くやれる人間はいない。そう上手く出来ない人間もいるさ。しかし、明らかに君は幾つか決定的な点を見逃した。このアンバレーと言う男と妻の近所の評判はどうなんだ?これは間違いなく重要な事だ。アーネスト医師に関してはどうだ?予想通りの女たらしだったのか?君の生まれ持った有利さで、ワトソン、どんな女性も君に協力的なはずだ。郵便局の女性局員はどうだ、それとも八百屋の奥さんは?ブルー・アンカーで若い女性にお世辞をささやいてその代わりに何か確かな情報を入手している君を目に浮かべる事が出来る。これらを全て君はやらずじまいだ」

「まだこれからだって出来る」

「もうやりおわったよ。電話とロンドン警視庁の助けのおかげで、僕はこの部屋を離れることなく決定的な情報をたいてい入手できるのさ。実際、僕の情報はあの男の話を裏打ちしている。彼は地元ではとげとげしく口やかましいばかりでなくけちな旦那として評判だ。彼がその金庫室に多額の金を持っていたのも間違いない。そして若い未婚のアーネスト医師がアンバレーとチェスを指していたのも間違いない。そしておそらく彼の妻にちょっかいを出した事もな。これは完全に簡単な話に思える。そして人はこれ以上の裏はないと思うだろう。それでもだ!それでもだ!」

「どこに問題があるんだ?」

「多分、僕の想像力の中でだな。まあ、この辺にしておこう、ワトソン。音楽の横道にそれて退屈な日常生活から逃げ出そう。今夜はアルバート・ホールでカリーナが歌う。ドレスアップして食事をして楽しむ時間はまだ十分にあるよ」