コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「そうです。なぜ?これに答えを出せれば、この事件は解決に向かって前進する。なぜか?適切な理由は一つしかありえない。誰かがあなたの筆跡を真似する練習をしたいと考え、最初にサンプルを入手する必要があったのだ。ここで第二の点に移ろう。第二の点は、最初の点とお互いに補完し合うものだと分かるだろう。その点とは、あなたが自分の職を辞さないようするというピンナーの要求だ。これによって、モーソン&ウイリアムの管理者は、それまで会った事が無いホール・パイクロフトという人物が月曜の朝、事務所にやって来ると完全に思い込んでいるはずだ」

「そんな!」ホール・パイクロフトは叫んだ。「私はなんと愚かなんだ!」

「これで、筆跡の意味が分かったでしょう。誰かがあなたに成り代わって現れる場面を考えてみて下さい。その人物が、欠員申し込みをした筆跡と全く違った筆跡をしていたら、もちろんこの企ては終わりになりかねない。しかし、それまでの時間を利用して、悪党はあなたの筆跡を真似る練習をし、彼の職はそれで確保された。僕の予想では、そのモーソンの事務所で以前あなたを見た人はいないはずだ」

「誰一人としていません」ホール・パイクロフトはうめいた。

「よろしい。もちろん、あなたが考え直さないように阻む事、さらにあなたの替え玉がモーソンの事務所で働いていることをあなたに告げる可能性のある人物とばったり出会わないようにしておく事が、一番の急所だった。このためにピンナーはあなたに気前良く給料の前払いをし、そしてミッドランドに追い払った。あなたがロンドンに戻れば、この企みが崩壊するかもしれないので、ピンナーはミッドランドであなたに沢山の作業をさせた。これはすべて明白だ」

「しかし、なぜピンナーは自分の兄を演じる必要があったのでしょう」

「それも同じように明白だ。明らかにこの計画には二人の人物しか関わっていない。もう一人は事務所であなたに化けている。この男はあなたの契約者として振舞っていた。その時、三番目の人物をこの計画に加担させなければ、雇用者をやる人物がいないと気付いた。それはピンナーが非常に嫌ったことだった。ピンナーは自分の外見を可能な限り変えた。あなたは当然両者が似ていると気付くが、それは兄弟同士が似ているためだと思わせた。しかし金の詰め物という幸運がなければ、おそらく決してあなたは疑念を起こさなかったでしょう」

ホール・パイクロフトは両手を握り締めて突き出した。「くそ!」彼は叫んだ。「私がこういう風に騙されている間、そのもう一人のホール・パイクロフトはモーソンで何をしていたのでしょう?私たちはどうしたらいいのでしょう、ホームズさん?どうしたらよいか教えてください」

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「モーソンに手紙を書くべきです」

「土曜は十二時に閉まります」

「気にする必要はない。守衛か接客係がいるでしょう・・・・・」

「ああ、そうですね。あそこは価値の高い債権を持っているので、常時守衛をつけています。シティでそういう話をしていたのを覚えています」

「それは好都合です。守衛宛てに電報を打って、何も問題が無いか、あなたの名前の社員がそこで働いているかを尋ねましょう。ここまでは十分明白だが、まだ分からないのは、なぜ我々を見て、悪党の一人がすぐに部屋から出て首を括らなければならなかったかだ」

「新聞!」しゃがれた声が我々の後ろから聞こえた。真っ青な顔で座っていた男は、生気を取り戻した目で、そっとまだ彼の喉の周りにあった広い赤い帯を両手でさすっていた。

「新聞!その通りだ」ホームズは突然興奮して叫んだ。「僕はなんて馬鹿なんだ。この訪問の事を考えすぎて、新聞にはまったく気が回らなかった。確かに、ここに秘密がなければならない」ホームズはテーブルの上で新聞を広げた。そして勝利の叫び声が上がった。「これを見ろ、ワトソン」ホームズは叫んだ。「これはロンドンの新聞、イブニング・スタンダードの早刷りだ。探していたものがここにある。この見出しを見ろ。『シティでの犯罪。モーソン&ウィリアムで殺人事件。大胆不敵な強盗未遂。犯人は逮捕』ここだ、ワトソン、我々は皆これが聞きたい。我々のために読み上げてくれないか」

新聞の見出し位置から考えて、これはロンドンの重大事件のようだった。記事は次のようなものだった。

「本日午後、シティで大胆不敵な強盗未遂が発生し、男性一人が死亡、犯人が逮捕された。著名な証券会社、モーソン&ウィリアムズでは、かなりの期間にわたって証券を保管しており、その額は合計で百万ポンドをはるかに越えていた。管理者はこれに伴う責任をよく自覚しており、巨額の資産に危険が及ぶという強い懸念があったため、最新型の金庫を導入し、武器を携帯した警備員が一日中建物の中に駐在していた。伝えられるところによると、会社はホール・パイクラフトと名乗る新しい店員を雇い入れた。この人物は有名な偽造者で、押し込み強盗のベディントンに他ならない模様である。彼は実の弟と共に、つい最近五年の刑を終えて刑務所から出て来たばかりだった。現時点では明らかになっていない方法を使って、彼は偽名の元にこの事務所の正式な社員の座を巧妙に確保した。この立場を利用して彼は色々な鍵の型を取り、貴重品保管所と金庫の位置を完全に把握した」
「モーソン社では土曜日の退社時刻は十二時だった。このため、シティ警察*のツーソン巡査部長は一時二十分に旅行鞄を持った男性が階段を降りてくるのを見て、少し驚いた。疑念が起きたので、巡査部長はその男の後をつけた。そして続いて来たポールコック巡査の助力を得て、死に物狂いの抵抗を受けた末に男を逮捕した。すぐに大胆な巨額の強盗事件があったことが明白となった。百万ポンド近いアメリカ鉄道債、多額の鉱山等の会社の仮株券がバッグの中から見つかった。会社の中を捜索すると、二つ折りにされ一番大きな金庫に押し込められた不運な警備員の死体が発見された。もしツーソン巡査部長の素早い働きがなければ、この場所では月曜の朝まで発見されなかった可能性がある。警備員の頭蓋骨は背後から火掻き棒で殴られて粉砕されていた。間違いなく、ベディントンは何か忘れ物をしたという言い訳で中に入れてもらうと、警備員を殺害し、急いで大きな金庫を荒らし、その後略奪品を持って逃走した。これまでの事件では共犯となっていた彼の弟は、現在までに判明した限りでは、この事件に姿を見せていない。しかし警察は精力的にこの弟の居所を捜索中である」
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「その件に関して言えば、警察の手間を省いてやれそうだな」ホームズは窓の側で丸まっている疲労困憊した男を見ながら言った。「人の心は不思議なものだな、ワトソン。悪党の殺人犯であっても、その首に縄がかかると知って、弟が自殺しようとするまでの愛情を生み出せるというわけだ。しかし、我々の行動に他の選択肢はない。ワトソンと私がここで見張っているので、パイクロフトさん、外に行って警察を呼んできてもらえますかな」