コンプリート・シャーロック・ホームズ
ホーム長編緋色の研究四つの署名バスカヴィル家の犬恐怖の谷短編シャーロック・ホームズの冒険シャーロック・ホームズの回想シャーロック・ホームズの帰還最後の挨拶 シャーロック・ホームズの事件簿

ロス大佐と私は驚いてホームズを見つめた。「捕まえた!それでは犯人はどこに?」

「ここにいます」

「ここに!どこですか?」

「この瞬間、私と一緒にいます」

ロス大佐は怒りで真っ赤になった。「あなたに恩義があるのは良く分かっていますが、ホームズさん」ロス大佐は言った。「しかし今あなたがおっしゃった事は、非常に悪い冗談か侮辱にしか思えません」

シャーロックホームズは笑った。「あなたがこの犯罪に加担してると疑ったりしていませんよ、大佐」ホームズは言った。「本当の殺人犯はあなたのすぐ後ろに立っています」ホームズは歩み寄り、サラブレッドの艶々した首に手を置いた。

illustration

「馬が!」ロス大佐と私は同時に叫んだ。

「そうです、馬です。ただ私が、これは自己防衛で、ジョン・ストレーカーは全くあなたが信頼を置けるような人物では無かったと弁護すれば、罪も軽くなるでしょう。しかしベルが鳴りましたね。次のレースでちょっと勝つ側にまわりたいので、長い説明をするのは、もっと都合のいい時まで延期しましょう」

私たちはその夜、ロンドンにとんぼ帰りをする際、寝台車の一角を確保した。そしてホームズから、月曜の夜ダートムーアの調教厩舎で起きた出来事と、それを解き明かした手法についての話を聞いたので、私と同じように、ロス大佐にとっても、この道中はあっという間に過ぎたのではないかと思う。

「実を言うと」ホームズは言った。「私が新聞を読んで作り上げていた理論は、完全に間違いでした。もちろん、そこにヒントがなかったわけではありませんが、枝葉のような細かい事実に真実が覆い隠されていたのです。私はフィッツロイ・シンプソンが真犯人に違いないと確信してデボンシャーへ行きました。とはいえ、当然の事ですが、シンプソンが犯人だという証拠はどう見ても不十分でした。私が馬車の中にいた時のことです。ちょうどストレーカーの家に着いた時、私はマトンのカレー煮が極めて重要だということに思い至ったのです。あなた方が皆降りた後、私が座ったまま上の空だったのを覚えているかもしれませんね。私は心の中で、自分がこんなにも明白な手がかりをどうして見逃す事ができたのかと驚いていました」

「実を言うと」ロス大佐が言った。「それを伺っても私は何が重要なのか分かりません」

「それは私の推理にとって、最初につかんだ鎖の環だったのです。阿片粉末には味があります。不愉快な味ではありませんが、はっきりと分かります。もし普通の食事に混ぜたのなら、食べた人間は間違いなくそれに気付き、それ以上は食べないでしょう。カレーは間違いなく、この味をごまかす手段です。しかしフィッツロイ・シンプソンという部外者が、あの夜、ストレーカーの家族の献立をカレーにさせることが可能だとは、想定できません。たまたま味をごまかせる料理が出た夜に、これもたまたま阿片粉末を持ってやって来たというのは、あまりにも馬鹿げた偶然です。これは考えられない。それゆえ、シンプソンはこの事件の犯人からは除かれます。そして、その夜の料理にマトンのカレー煮を選ぶ事ができた、たった二人の人物、ストレーカーとその妻に注目が向けられます。同じ料理を食べた他の人物には影響がなかったという事は、阿片は厩舎番に取り分けられた後に入れられた。ではどちらが、メイドに見られずに料理に近付けたか」

「この問題を解決する前提として、私は犬が静かだったという事の重大な意味を把握していました。一つの正しい推論は必然的に別の成果を導き出すものです。シンプソンの事件によって、私は犬が厩舎の中にずっといたと知りました。それにも拘らず、誰かが中に入って馬を連れ出しているのに、屋根裏で寝ている二人の馬丁が目を覚ますような鳴き声を立てなかった。明らかに、夜中にやって来たのは犬がよく知っている人物だったのです」

「私はすでに確信していました。確信というのが言い過ぎなら、ほぼ間違いない、と思っていました。ジョン・ストレーカーが真夜中に厩舎へ行き、シルバー・ブレイズを連れ出したのです。何の目的で?明らかに不正な目的です。さもなければ、なぜ厩舎番を薬で眠らす必要があったでしょうか。しかし私にはその目的が分かりませんでした。調教師が大金を得ようとして、代理人を使って対抗馬に金をかけ、その後、不正な手段で馬を負けさせた事件はこれまでもありました。騎手を仲間に引き入れたこともあります。もっと確実で巧妙な手段が用いられたこともあります。今回は何だろうか。私はそれを突き止めるためには、ストレーカーのポケットの中の物が役に立ちそうだと考えました」

「そして、そのとおりになりました。死んだ男が手に握っていた奇妙なナイフは忘れようが無いでしょうが、あのナイフは、まともな男が武器に選ぶようなものでは絶対にない。あれは、ワトソン博士が言ったように、非常に繊細な外科手術をために使われるものです。そしてあの夜、あのナイフは最も繊細な手術に使われるところだったのです。ロス大佐、競馬界で豊富な経験をお持ちのあなたなら馬の腿の裏側の腱にごく小さな傷をつける際、皮下で行えばまったく跡が残らないようにすることが出来ることをご存知でしょう。そのように処置された馬は軽く足をひきずるようになるが、運動の疲れか軽いリューマチのように見え、不正行為だとは分からないのです」

「悪党!不埒な奴が」ロス大佐は叫んだ。

「なぜジョン・ストレーカーが荒野に馬を連れ出したかったか、理由は明らかです。元気のある動物がナイフで切られた痛みを感じれば、間違いなく暴れて、どんなに熟睡している人間でも目を覚ますはずです。これは絶対に戸外で執刀する必要があった」

「ワシは見る目がなかった!」ロス大佐は叫んだ。「それで奴はロウソクが必要になってマッチを擦ったのか」

「間違いなくそうです。しかしストレーカーの持ち物を調べている時、幸運な事に私は犯罪の手段だけではなく動機をも発見しました。世慣れたあなたなら、大佐、ご存知でしょう。人は他人の請求書をポケットの中に持ち歩いたりはしません。たいていの人間は、自分達のものを清算するだけで精一杯です。私はすぐにストレーカーは二番目の家庭を持って、二重生活を営んでいたという結論に達しました。請求書の内容を見れば、この事件の陰には金遣いの荒い女がいたと分かります。いかにあなたが使用人に対して気前が良くても、妻に20ギニーの外出着を買い与える事ができるとはとても考えられません。私は悟られないようにして、ストレーカー夫人にあのドレスの事を質問しました。そして、それが別の女のものだと判明しましたので、私は衣料店の住所を控えて、ストレーカーの写真を持ってその店に行けば、簡単にこのダービーシャーの謎を解決できると思いました」

「ここから先の出来事はすべて明白です。ストレーカーは馬を窪地に連れて行きました。そこなら灯りをつけても誰にも見られません。シンプソンは逃げる時にスカーフを落としていきました。そしてストレーカーがそれを拾っていました。何か考えがあってのことでしょう。多分、馬の足を固定するのに使えるかもしれないと思ったのではないでしょうか。窪地に行くと、ストレーカーは馬の後ろに回ってマッチを擦りました。しかし馬は、突然の光に恐れをなし、動物の表現しがたい本能によって、危害が加えられようとしているのに気づき、攻撃しました。そして鉄の蹄鉄がもろにストレーカーの額を直撃したのです。雨が降っていましたが、ストレーカーは既に微妙な仕事をするためにコートを脱いでいました。このため、倒れる時に、自分の腿をナイフで切り裂いてしまいました。分かりにくいところはありませんか?」

「すばらしい!」ロス大佐は叫んだ。「すばらしい!その場にいらっしゃったようだ」

「私の最後の賭けは、実は、大穴狙いでした。私はストレーカーのような抜け目のない男が、何の練習もせずに、このように繊細な手術をするだろうか、という事に気が付きました。練習台になりそうなのは何か。私の目は羊に止まりました。そして私が質問すると、驚いた事に、その想定が裏付けられたのです」

「私はロンドンに戻り、衣料店を訪ねました。店主にストレーカーの写真を見せると、高級服に対して物凄くこだわりがある衣装道楽の嫁を持ったダービーシャーという名の上得意だと言いました。この女性がストレーカーを借金で首が回らないようにし、この不幸な計画に駆り立てたというのは、間違いないと思います。」

「すべて説明していただけましたが、一つだけまだです」ロス大佐は叫んだ。「馬はどこにいたのですか?」

「ああ、それは逃げ出して、ご近所の一人に世話をされていました。これについては穏便に計らうべきだと思います。私が間違っていなければ、ここはクラッパム・ジャンクションですね。ビクトリア駅まで十分もかからないでしょう。もし私たちの部屋で一服するつもりがあるのでしたら、大佐、それ以外で聞きたい事があれば何でも喜んでお話しましょう」