コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「まあ、そんなに時間のかかる話じゃない」彼は煙草に火をつけて言った。「君は、プレトリア郊外の東線路、バフルスプルートで午前中にあった戦闘を覚えているだろう?僕が撃たれたことは聞いたか?」

「ああ、それは聞いた。しかし詳細は全然分からなかった」

「我々三人は他の兵士とはぐれた。君も覚えているようにあそこの地形は複雑だ。三人とは、シンプソン、 ―― 仲間は禿げのシンプソンと呼んでいたな ―― そしてアンダーソン、それから僕だ。我々はボーア兵を掃討していたが、敵は身を潜めて我々三人を攻撃した。他の二人は死んだ。僕はゾウ撃弾を肩に受けた。しかし僕は馬にしがみつき、馬は数マイル駆けて行った。その後僕は気を失って鞍から転げ落ちた」

「僕が意識を取り戻すと、夜が更けていた。疲労困憊して気分が悪かったが僕は身を起こした。驚いたことに僕のすぐ近くに一軒の家があった。広いベランダと沢山の窓があるとても大きな家だった。恐ろしいほど寒かった。夜が来ると痺れるような寒さが来たのを覚えているだろう。きりっとした心地よい寒気とはまったく違う、恐ろしく耐え難い寒さだ。骨に染み入るような寒さだったので、その家で手足を伸ばして横になることだけがたった一つの希望だった。僕はよろよろと立ち上がり、何をしているのかほとんど意識もないまま、身を引きずって行った。ぼんやりと記憶にあるのは、僕はゆっくりと階段を上がり、あけっぱなしの扉を入り、いくつもベッドがある大きな部屋に入り、安堵のため息を漏らしてその一つに身を投げ出したことだ。寝具は乱れていたが、そんなことは問題ではなかった。僕は寝具を震える体にかけ、一瞬で深い眠りに落ちた。

「目が覚めると朝になっていた。そして僕は、目が覚めて元の世界に戻る代わりに、とんでもない悪夢の世界にやってきたと思った。アフリカの太陽が大きなカーテンの掛かっていない窓から降り注ぎ、大きな家具のない漆喰の共同寝室は隅々まで、痛いほどくっきりと浮かび上がっていた。僕の目の前には、大きな球根のような頭をした非常に背の低い男が立っていた。彼は僕には茶色いスポンジのようにみえる恐ろしい二本の手を振りながらオランダ語で興奮してまくしたてていた。彼の後ろに、この状況を非常に面白がっているような人の群れができていた。しかし僕は彼らを見て全身に寒気が走った。彼らの中に普通の姿の人間はいなかった。全員が奇妙に曲がったり膨れ上がったり変形したりしていた。この見慣れぬ人間が笑っているのを聞くとぞっとした」

「誰も英語を話せるものはいないようだったが、徐々に状況がはっきりしてきた。頭の大きな人間はだんだん激しく怒り出し、そして、野獣のような叫び声をあげて、彼は変形した手を僕にかけ、傷から鮮血が流れるのも構わずベッドから引き下ろしはじめた。この小さい男は雄牛のように力があった。そして、もし明らかに責任者風の老人が、この騒ぎを聞きつけて部屋にやってこなかったら、彼が僕をどうしていたかは分からない。彼はオランダ語で一言二言叱りつけ、それで僕を苦しめていた男は縮み上がった。それから彼は僕のほうを振り返ると、驚愕した様子で僕をじっと見つめた」

「一体全体なんだってここに来たんですか?」彼は驚いて尋ねた。「ちょっと待ってください!見たところ、あなたはかなり疲労困憊しているし、その肩の傷は手当てしなければなりません。私は医者です。すぐに包帯を巻かせましょう。しかし、なんということでしょう!あなたは戦場にいた時よりもずっと危険な場所にいるんですよ。ここはハンセン病院です。そしてあなたはハンセン病患者のベッドで寝ていたんですよ」

「これ以上言う必要があるか、ジミー?どうやらこういうことのようだった、戦闘が近づいてきそうだったので、かわいそうな患者は前の日に避難していた。その後、イギリス軍が進軍してきたので、彼らはこの医療監督者によって戻されていた、彼は僕に断言した。自分はこの病気に対して免疫があると信じてはいるが、たとえそうであっても僕がしたようなことは決してやりたくないと。彼は僕を個室に連れて行き、丁寧に治療した。そして一週間かそこらで、僕はプレトリアの一般病院に移送された」

「これで僕の悲劇が分かっただろう。僕は万に一つの希望をかけた。しかし家に戻る前に、君が見ているように顔に恐ろしいしるしが現れ、感染を免れていないことが分かった。できることは、この寂しい家にいることだけだった。ここには完全に信用が置ける二人の使用人がいて、生活できる家があった。秘密を守るという約束で、ケントさんは、 ―― 彼は外科医ですが ―― 、私のそばについていてくれました。こうするしかなかった。そうでなければ恐ろしい事になっていたはずだ、・・・・見知らぬ人と一緒に、いつ出られるという望みもなく隔離されてしまう。しかし秘密を完璧に守ることが必要だった。そうでなければこの静かな田舎といえども、大騒ぎになっていただろう。そして僕は恐ろしい破滅へと引きずり出されていたにちがいない。君にさえ、ジミー、・・・・君にさえ秘密にしておく必要があった。なぜ父が態度を和らげたかは僕には想像もつかない」

エムスワース大佐は私を指差した。

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「この男が無理やりにそうさせたのだ」彼は私が『ハンセン病』と書いた紙切れを広げた。「彼がそこまで知っているなら、何もかも打ち明ける方がまだましだと思ったのだ」

「その通りかもしれません」私は言った。「いい結果にならないと誰に言えるでしょうか?聞いたところではケント氏しか患者を診察していない。失礼ですが、こういう病気について詳しいか、お尋ねしていいでしょうか?私の知る限り、熱帯か亜熱帯性の病気でしょう?」

「きちんと教育を受けた医者として、一通りの知識は持っている」彼はちょっとむっとしたように言った。

「あなたが極めて有能な医者であることを疑ってはいません。しかし、こういう場合にはセカンド・オピニオンが有益だということは、当然同意されるだろうと思います。聞く限りでは、患者を隔離するようにという圧力がかかることになるのを恐れてそれを避けてきた」

「その通りだ」エムスワース大佐が言った。

「そうではないかと思っていました」私は説明した。「だから私は秘密保持に関して完全に信用できる友人を連れてきています。私は以前彼に仕事でお役に立てたことがあり、彼は喜んで専門医としてではなく友人として助言してくれるつもりです。彼の名前は、サー・ジェイムズ・サンダーズです」

ただの一少尉がロバーツ元帥と会えると言われても、今ケント氏の顔に浮かんでいるような驚きと喜びの表情は浮かばなかっただろう。

「本当になんという光栄でしょうか」彼はつぶやいた。

「ではサー・ジェイムズにこちらに来るようにお願いしましょう。彼は今、玄関の外の馬車の中です。それまでの間、エムスワース大佐、あなたの書斎に集まりましょう。そこなら私が必要な説明をできますので」

ここで私はワトソンがいないのが辛かった。上手い質問や驚きの叫びで、彼は僕の単純な技術を奇跡にまで高めてくれただろう。もちらん、これはごく普通の思考によって組み立てられただけなのだ。私が自分で話をする場合はそういう手助けがない。それでも私はエムスワース大佐の書斎の中で、数人を前にして話したそのままそのままの形で、思考の過程を説明しよう。ゴドフリーの母親もその場に加わっていた。

「思考の展開は」私は言った。「この前提から始まる。不可能なものを全て削除した時、何が残ろうとも、それがいかにありそうでなくとも、真実に違いない。複数の解釈が残る場合があるかもしれない。そういう場合はそのうちのどれかに納得できるだけの証拠が得られるまで何度も検証を繰り返す。今この原理を現在の事件に当てはめてみよう。出発点の状態では、父親の屋敷の離れの中にこの男性が隔離、ないしは監禁されているという事に関して、可能な解釈は三つあった。その三つの解釈とは、彼が犯罪を犯して隠れているということ、または彼が正気を失って家族が精神病院に入れたくないと思っていること、または彼が隔離されるような病気にかかっていることだった。これ以外に見込みのある説明は考えられなかった。次の段階として、私はこの三つをふるいにかけ、お互いの可能性を評価しなければならなかった」

「犯罪説は詳しく調べるまでもない。あの地方で未解決の事件は報告されていない。私はそれをはっきり知っていた。もしまだ判明していない犯罪だったとすれば、明らかに家族には、犯人を家に隠しておくよりも、追い出して外国に行かせる方がよかったはずだ。私は一連の行動に説明を見出すことができなかった」

「狂気説はもっとありえそうだった。離れに二人目の男がいるという事は、彼が監視人であることを匂わせる。彼が出て行ったときに扉に鍵をかけたという事実は、この仮説を強化し、拘束されているという考えが浮かぶ。一方、この拘束は厳密なものではありえなかった。そうでなければ青年がそこから出て、友人を一目見ようとやって来れなかったはずだ。ドッドさん、僕が確証を得ようとしていたことを、覚えているでしょう。たとえばケント氏が読んでいた新聞についてあなたに尋ねましたね?もしそれがランセットか英医学会報なら、役に立ったのですがね。しかし精神病患者を個人宅におくことは、しかるべき人間がついていて当局にきちんと連絡している限り非合法ではない。ではなぜみんながこのように必死になって隠したがるのか?また私はこれらの事実に適合する理論を見出せなかった」

「残ったのは三番目の可能性だった。これは、非常にまれなことで、ありそうもないようだが、全てがぴったりと符合するように思えた。ハンセン病は南アフリカではまれな病気ではない。何らかの極限状況でこの青年がそれにかかったかもしれない。家族は彼を隔離から救いたいと願っただろうから、非常に難しい立場に立たされただろう。噂が広まることを防ぐのに、大変な秘密保持が必要だった。もし噂が立てば、続いて当局が介入することになるだろう。十分に報酬を積めば、病人を面倒見る専属の医者を見つけることは簡単だったろう。暗くなった後、患者を自由にしてはいけない理由はなかっただろう。皮膚が白くなるのはその病気の一般的な症状だ。これは強固な説明だった、 ―― 非常に強固だったので私はそれが実際に証明されたかのように行動することを決意した。ここに着いた時、私は食事を運んでいたラルフが、消毒薬をしみこませた手袋をしていたのに、気づいた。私の最後の疑念が取り除かれた。一つの単語であなたに秘密が暴かれたことを知らせた。そして私が口で言わずに書き記したのは、あなたに私が秘密を漏らすような人物ではないと分かってもらうためだった」

私がこの事件の説明を終えようとしていた時、扉が開いて、修行僧のような容貌の偉大な皮膚病専門医が招き入れられた。しかし今回ばかりはスフィンクスのような表情が緩み、目には暖かい人間味が浮かんでいた。彼はエムスワース大佐に歩み寄り手を握りしめた。

「悪い知らせを運ぶのが私の宿命で、いい知らせというのはほとんどないのですが」彼は言った。「今回はそれ以上に喜ばしいものです。ハンセン病ではありません」

「なんですと?」

「偽ハンセン病とか魚鱗癬と言われる病気の典型的な症状です。これは肌がうろこのようになる病気です。見た目が悪く直りにくい病気ですが、治療可能です。さらに、伝染性は全くありません。それにしても、ホームズさん、驚くべき偶然の一致ですね。しかし本当に偶然の一致なのでしょうか?私達がほとんど知らない力が作用しているのではないでしょうか?きっとこの青年は病原菌にさらされて以来ずっと非常に怯えてきたはずです。その怯えが心配してきた物にそっくりな物理的症状を生じさせたのではないと、確信を持って言えるでしょうか?ともあれ、私は専門家としての名誉にかけて断言します・・・・おや、女性が気を失ってしまいましたね!この喜びの衝撃から回復するまで、ケント氏に彼女の世話をお願いした方がよさそうですね」