コンプリート・シャーロック・ホームズ
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そうなった ―― 驚くほどすぐに。一分後、我々はアラビアンナイトのように広大で見事な応接間に通された。そこは、薄暗がりで所々にピンクの電球がついていた。女性は先に来ていた。私はいかに誇り高い美人であっても薄暗い照明がありがたい年齢になっていると感じた。彼女は我々が入ると長いすから立ち上がった。背が高く、女王の気品、完璧な肢体、仮面のように美しい顔、二つの見事なスペインの目が、殺意を帯びてホームズと私を見つめた。

「厚かましく押しかけてきて何なの、 ―― それにこの人を馬鹿にした手紙は?」彼女は紙片を掲げて尋ねた。

「説明の必要はないでしょう。あなたの知性を評価していますので、それには及ばないはずです、 ―― しかし、率直に申し上げて、その知性がありながら、最近驚くような失敗をしましたね」

「どういう事?」

「ごろつきを雇って脅せば僕が仕事から手を引くと思った事です。間違いなくそんな男は探偵など始めません。危険があるほど興味が増すのでなければね。要するにあなたですよ。僕をマーベリー青年の事件を調べる気にさせたのは」

「何をおっしゃっているのか皆目見当もつきませんわ。私がごろつきを雇ってどうするんです?」

ホームズはうんざりしたように踵を返した。

「いいでしょう。あなたの知性はその程度ということにしましょう。では、失敬!」

「待って!どこに行くおつもり?」

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「ロンドン警視庁です」

我々が戸口まで半分も行く前に彼女が追いついてホームズの腕をつかんでいた。彼女は一瞬で鋼鉄からビロードに変わっていた。

「来て、お座りになってくださいな、殿方。話し合いましょう。あなたには率直になれそうに思いますの、ホームズさん。あなたには紳士としての気概があります。女性の直感がどれくらい素早くそれを見抜けるかご存知かしら。友人としておもてなししたいわ」

「同じようにすると約束はできませんね。私は警察ではない。しかし私は非力ではあっても出来る限り正義の代弁者です。お話を聞く用意はあります。その後でどのように行動するかお話しするつもりです」

「あなたのように勇敢な人を脅そうとするなんて、愚かなことをしましたわ」

「本当に愚かなのは、あなたが自分を悪党一味の手に委ねたことです。彼らはゆすったり秘密を暴露したりするかもしれない」

「いいえ!そんなに馬鹿ではありませんわ。率直にお話しすると約束したので、言いますけど、バーニー・ストックデールと彼の妻のスーザン以外は、依頼者が誰かはこれっぽっちも知らないはずよ。この二人については、そうね、これが初めてではないし・・・」彼女は微笑むと、魅力的でなまめかしい親愛の情を込めて小首をかしげた。

「なるほど。以前に試していたわけだ」

「吠えずに走るいい猟犬たちなの」

「そういう犬が遅かれ早かれ餌をくれる手を噛むものです。あの窃盗犯達は逮捕されるでしょう。警察はすでに彼らの後を追っています」

「彼らは運命を受け入れるはずよ。そのためにお金を貰っているのよ。私がこの事件に巻き込まれることはないわ」

「僕があなたを引っ張り込まないかぎりはね」

「嘘、嘘、あなたはそんな事しないわ。紳士ですもの。これは女性の秘密なのよ」

「まず最初に、あの原稿を返してもらいましょうか」

彼女はさざなみのように笑い出して、暖炉のところまで歩いて行った。そこには焼け焦げた塊があり、それを彼女は火掻棒で粉々に崩した。「これをお返ししようかしら?」彼女は尋ねた。我々の前に立って挑みかかるように笑う彼女は、この上なくいたずらっぽく優雅だったので、私は、ホームズもこれまで相手にした全ての犯罪者の中で、最も対決しにくい相手だと思うに違いないと感じた。しかし、彼には繊細な情は全く通用しなかった。

「あなたは自分の運命を封じましたね」彼は冷たく言った。「あなたは非常に行動が素早い。しかし今度はやりすぎました」

彼女は火掻棒を音を立てて投げ捨てた。

「なんて物分かりが悪いの!」彼女は叫んだ。「何から何まで話しましょうか?」

「それなら、多分僕も話せると思いますね」

「しかし私の立場で見てください、ホームズさん。あなたは生涯をかけた念願が最後の最後になって崩壊しそうになるのを見ている女性の立場を実感するべきです。そういう女性が自分自身を守って非難されるでしょうか?」

「元々悪い事をしたのはあなたの方だ」

「そうよ、そうよ!認めるわ。かわいい子供だったわ、ダグラスは。でもどういうわけか彼は私の計画に折り合いがつけられなかった。彼は結婚を望んだ、 ―― 結婚ですよ、ホームズさん、 ―― 文無しの平民と。彼はそれ以外は受け付けようとしませんでした。その後彼は強情になりました。一度許したら、彼は私がずっと許さねばならないと思っているようでした。それも彼一人に。これには我慢がなりませんでした。結局私は彼に思い知らせてやるしかありませんでした」

「悪党を雇ってあなたが窓から見下ろしているところで殴らせた」

「本当に何もかもご存知のようですね。ええ、その通りよ。バーニーと子分たちが彼を追い払った。そしてちょっとやり方が荒っぽかった事は認めますよ。しかしそれから彼がやった事は何?紳士があんな事をやろうとは私に想像できたでしょうか?彼は本を書いてそこで自分の立場から描写したんです。私はもちろん狼で、彼は子羊よ。何もかも書いたの。もちろん、仮名だけど、ロンドン中で誰の事かわからない人がいるでしょうか?どうお考えでしょう?ホームズさん」

「まあ、彼の勝手ではないですか」

「まるでイタリアの空気が彼の血の中に入り、同時に残酷なイタリアの気風が送り込まれたようでした。彼は私に手紙を書いて本を一部送ってきました。それで私が将来のことを案じて酷く苦しむだろうと思ったのね。写しが二部ある、彼は言いました。・・・・・ 一部はわたし用、一部は出版社用」

「どうして出版社の分がまだ送られていないと分かったのですか?」

「彼の出版社は知っていました。彼の小説はこれ一作ではないですからね。私は彼がまだイタリアから返事をもらっていないことをつきとめました。その後ダグラスが突然死にました。この世にもう一つの原稿がある限り、私の身の安全はまったくありません。当然、それは彼の荷物の中にあるはずで、彼の母の元に返ってくるはずです。私はあの連中達を働かせました。彼らの一人は使用人としてあの家に潜り込みました。私はまっとうな方法でやりたいと思っていました。本当に心の底からそう思っていました。私は家とその中のものを全て買いとるのをいといませんでした。私は彼女がどれだけの金額を望んでも同意しました。私は他の全てが失敗した時になってやっと別の手段に出たんです。さあ、ホームズさん、仮に私がダグラスにひどく当たりすぎたとしても、・・・・・それは、本当にすまないと思っています!私の将来全体が危うくなっているのに他に何が出来たでしょう?」

ホームズは肩をすぼめた。

「やれやれ」彼は言った。「今度も、重罪を示談に持ち込まなければならないようだ。ファーストクラスで世界一周するのにどれくらいの費用がかかりますか?」

女性は驚いて見つめた。

「5000ポンドで出来ますか?」

「ええ、出来ると思います。きっと!」

「結構。その額の小切手を切ってもらえるでしょうね。そうすれば私がそれをマーベリー夫人のところに届けるように計らいます。あなたには彼女にちょっと気分転換させるくらいの恩義はありますよ。ところで」彼は注意を促すように人差し指を振った。「注意しなさい!いいですか!鋭利な刃物を何時までも持て遊ぶことはできませんよ。その上品な指を傷つけることなしにはね」