コンプリート・シャーロック・ホームズ
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しかし、いくらか好奇の目で見られ、より洗練された隣人からは疎遠にされていたものの、彼はすぐに村人の間で非常な人気を獲得した。地元に惜しみなく寄付を与え、喫煙可能なコンサートなどに参加すると、彼は驚くほど豊かなテノールの声で、何時でも喜んで素晴らしい歌を披露した。彼は巨額の資産を持っているようだった。それはカリフォルニアの金鉱で得たものと噂されていた。そして彼自身と妻の話から、彼が人生のある部分をアメリカで過ごしたのは明らかだった。

彼は寛大な行為と民主的な態度によって、好人物という印象が広まって行ったが、それは危険を顧みない態度で獲得した名声によってさらに高まった。彼は乗馬が下手だったが、いつも狐狩りに参加し、何とか最善を尽くそうと張り切って、非常に派手な落馬をした。牧師館が火事になった際は、地元の消防隊が不可能だと諦めたのに、彼が建物にもう一度入って牧師を救い、恐れをしらない態度が評判となった。このようにして領主邸のジョン・ダグラスは、5年を経たずしてバールストンでかなりの名声を勝ち得ていた。

彼の妻も、知り合いになった人間の間では非常に評判が良かった。しかしイギリスの流儀により、誰の紹介も無しにその地方に住み着いた余所者を訪問する人間はほとんどなかった。彼女にとってこれはたいした問題ではなかった。彼女は引っ込み思案な性格だったし、どう見ても夫の世話や家事に忙殺されていた。彼女はイギリスの女性で、男やもめだったダグラス氏とロンドンで出会ったことが知られている。彼女は美しい女性だった。背が高く、黒髪で、細身で、夫より20歳ほど若かった。年齢差によって、二人の家庭生活の円満さが損われる事は全くなかったようだ。

しかし折に触れて、彼らを非常に良く知る人間の口から、夫婦の間の信頼が完璧なものではなかったらしいという話が漏れてきた。妻は夫の過去についてあまり話したがらなかった。というよりも、完全には夫の過去を聞かされていなかった可能性が高い。また少数の目が利く人は、ダグラス夫人が時々神経を高ぶらせている兆候があったのに気づき、これも噂になっていた。そして彼女は、出掛けた夫の帰りがとりわけ遅い時は激しい不安を表に出すことが多かった。静かな田舎の地方では、どんな噂話でも歓迎される。領主邸の女主人のこの不安は、人の噂を掻き立てずにはいられなかった。そして今回の事件が起き、その不安には何か特別な理由があったと分かった時、人々は余計にこの事実を重大なものと感じた。

同じ屋根の下に住んでいた住民がもう一人いるが、ずっとそこに暮らしていたわけではなかった。しかし、これから語る奇妙な事件の時、彼が現場に居たことによってその名前が大衆の良く知るところとなった。この人物はハムステッド、ヘイルズ荘のセシル・ジェイムズ・バーカーだった。

セシル・バーカーの背の高い柔軟な姿は、バールストン村の大通りの一つではおなじみだった。彼は領主邸にとって歓迎される客でしばしば出入りしていた。彼は、この近くに住むイギリスの友人としては、ただ一人、ダグラス氏の知られざる過去の友人だったことから、さらに注目を浴びる事になった。バーカー自身はれっきとしたイギリス人だった。しかし彼の話によれば、ダグラスとはアメリカで初めて知り合い、親密な付き合いをしながらアメリカで暮らしていたのは間違いない。彼は十分な資産を持ち、独身だという噂だった。

彼はダグラスよりも少し若かった。歳は最高でもまず45歳どまりだった。背の高い、率直な、胸の広い男で、綺麗に髭をそったプロボクサーのような顔に、濃く黒い眉と、有無を言わさないような黒い目は、屈強な腕力に頼らずとも、集まった敵をたじたじとさせたたかも知れない。彼は馬に乗らず射撃もしなかった。その代わりに、パイプをくわえて古い村を歩き回ったり、主人と、 ―― 彼が不在の折りはその妻と ―― 、美しい田舎地方に馬車で出かけたりして、暇をつぶした。「のんきで自由気ままな人です」執事のエイムズは言った。「しかし、まあねえ!どちらかといえば関わり合いになりたくないですね!」バーカーはダグラスに思いやりがあり親しく付き合っていたが、彼は妻の方とも同じくらい親しかった。この親交は、一度ならず夫をかなりイライラさせる原因となったらしく、使用人でさえ主人の苛立ちを感じる事ができた。惨事が発生した時現場にい合わせた、三人目の家族の一員はこのような人物だ。

この古い建物に住んでいるほかの人物については、多くの使用人の中から次の二人を紹介しておけば十分だろう。堅苦しく礼儀正しく有能なエイムズ、そして快活で愉快な性格のアレン夫人、 ―― 彼女は夫人の家庭の悩みをある程度晴らしていた。他の六人の住み込み使用人は、1月6日の夜の事件とは無関係だ。