シャーロックホームズという人物 2 | シャーロックホームズという人物 3 | シャーロックホームズという人物 4 |
ホルボーンを後にして病院に行く道すがら、スタンフォードは私が同居しようと思っている男ついて、さらに話を付け加えた。
「同居がうまくいかなくても、責めないでくれよ」彼は言った。「ときどき研究室で会っているだけだから、あまり詳しく知っているわけじゃない。会いたいと言ったのは君のほうだから、あとで責任をとってくれと言われても困るよ」
「うまくいかなかったら、そのとき考えればいいだけだ」私は答えた。「どうやら、スタンフォード」私は彼をじっと見つめて言った。「どうも気乗りがしないらしいな。その男の気性が荒いとか、ほかに理由があるのか?はっきり言ってほしいな」
「はっきり言いたくても、それが一言ではいえないんだ」彼は笑って答えた。「ホームズは僕の目から見るとちょっと科学的すぎる、・・・・冷血に近いくらいだ。彼は、最新の植物性アルカロイドを友人に少量与えることだってしかねないと思う。もちろん、悪意ではなく、たんに薬効を正確に知りたい探究心からだ。公正を期すなら、彼は自分でも喜んで飲むだろうがね。彼は、ゆるぎのない正確な知識に情熱を燃やしているようだ」
「けっこうなことじゃないか」
「そうだ。しかしちょっと行き過ぎかもしれない。解剖室で死体を杖で打つとなると、これはかなり恐ろしいところまで行っているんじゃないかな」
「死体を打つ!」
「そうだ。死後、どの程度アザが出来るかを確かめるためだが、僕はこの眼でその場面を見た」
「それなのに、医学生じゃないと言うのか?」
「その通りだ。彼がなんのために研究しているのか誰も知らない。しかし着いたよ。自分で確かめるのが一番だ」彼がそう話している間に、私たちは細い道を下り、大きな病院の一棟に通じる小さな横扉をくぐった。私にはなじみのある場所だったので、殺風景な石階段を上がり、漆喰の壁とこげ茶色の扉が並ぶ長い廊下に向かうとき、案内はいらなかった。行き止まり近くに、低いアーチ型の廊下が枝分かれしていて化学実験室に通じていた。
そこは天井の高い部屋で、数え切れないほどの瓶が所狭しと並んで、散らかっていた。大きな低いテーブルがあちこちにあり、その上にレトルトや試験管や青く揺らめく炎を上げるブンゼン灯が林立していた。部屋にいた研究者はひとりだけだった。その男は遠くのテーブルに覆いかぶさって仕事に没頭していた。私たちの足音で、彼はあたりを見回し、嬉しそうに叫んで、さっと立ち上がった。「見つけたぞ!見つけたぞ!」彼は試験管を手に駆けよってきて、スタンフォードに叫んだ。「ヘモグロビンのみに特異的に反応して沈殿する試薬を見つけたぞ」もし彼が金鉱を見つけていたとしても、これ以上に嬉しそうな顔はできなかったかもしれない。
「ワトソン博士だ。シャーロックホームズ氏だ」スタンフォードは私たちを紹介しながら言った。
「はじめまして」彼は、常識を越えた握力で私の手を握りしめながら、心を込めてこう言った。「見たところ、アフガニスタンに行ったことがありますね」
「いったいどうやって、わかったんですか?」私は驚いてたずねた。
「お気になさらずに」彼は一人含み笑いをして言った。「今重要なのは、ヘモグロビンに関することです。僕の発見の重要性は、もちろんおわかりいただけますよね?」
「化学的には、もちろん面白いですね」私は答えた。「しかし、実用的には・・・・」
「どうしてですか。法医学的にみて、ここ数年で最も実用的な発見です。これが確実な血痕の判定法になることがわかりませんか?ちょっとこちらに来てください」彼は私のコートの袖をぐっとつかむと、作業していたテーブルまで引っ張ってきた。「ちょっと新しい血を採りましょう」彼は指に千枚通しを突き刺しながら言った。そして化学実験用のピペットで出てきた血を吸い取った。「さあ、この少量の血を一リットルの水に入れます。この混合液は純粋な水にしか見えないでしょう。血の比率は百万分の一以上ということはない。それでも間違いなく、特性反応が見られるはずです」こう言いながら、彼は白い結晶を幾つか容器に投げ入れ、透明な液体を数滴落とした。その瞬間、溶液は鈍いマホガニーの色を帯び、ガラス容器の底に褐色の沈殿物が溜まった。
「ハ!ハ!」彼は新しい玩具を手にした子供のように喜んで、手を打ち合わせながら叫んだ。「どうお考えですか?」
「繊細な実験のようですね」私は言った。
「すばらしい!すばらしい!旧式のユソウボク試験は面倒で不確実だった。血球を顕微鏡で検査するのも同じです。後者は血痕が数時間たつと使えない。ところが、これは血が古くても新しくても反応は変わらないようだ。もしこの検出法が生み出されていれば、今、大手を振って歩いている何百人という男たちは、ずっと以前に犯罪者として処罰されていたはずだ」
「なるほど!」私はつぶやいた。
「すべてがこの一点に掛かっている犯罪がなくなることはない。犯行後、へたをすると何ヶ月もたってから、一人の男に容疑がかかる。下着や服が調べられ、そこに茶色の染みが見つかる。これは血痕か、それとも泥汚れか、錆び汚れか、果物の染みか、それともまた別物か?これは多くの専門家を悩ませてきた問題だ。なぜか?信頼性の高い検査方法が無かったからだ。今、ここにシャーロックホームズ法がある。そして今後は何の問題もない」
彼は話しながら目をキラキラと輝かせた。そして手を胸に当て、想像上で拍手喝さいを浴びたかのように一礼した。
「それはおめでとうございます」私は彼の熱心さに圧倒されてこう言った。
「去年フランクフォートでフォン・ビスチョフ事件があった。この試験が存在していれば、彼は間違いなく絞首刑になっていただろう。それからブラッドフォードのマンソン、そして悪名高いミューラー、それにモンペリエのルフェーブル、そしてニューオリンズのサムソン。この検査方法が決め手になったはずの事件をいくらでも挙げることが出来る」
「君は犯罪の生き字引だな」スタンフォードは笑って言った。「このジャンルの新聞を創刊できるかもしれんな。『警察旧聞』とでも名づけたらどうだ」
「それが出来たら面白い読み物になるだろうな」シャーロックホームズは指の刺し傷に小さなバンソウコウを貼りながら言った。「注意をしなければ」彼は笑顔で私の方を振り返りながら続けた。「多量の毒物を扱うのでね」彼はそう話しながら手を差し出したので、そこら中に似たようなバンソウコウが貼りつけられ、強い酸で変色している部分があるのが、目に入った。
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