コンプリート・シャーロック・ホームズ
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我々の船はこの時までに一挺身を切るところまで接近し、ほとんど狩の獲物に手が届くところだった。今、二人が立ち上がっているのが見えた。白人は両足を大きく開き、甲高く罵っていた。そしてぞっとするような顔の邪悪な小男は、こちらが放つランタンの光の中で、頑丈そうな黄色い歯を噛み締めていた。

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彼の姿がここまではっきりと見えていたのは幸いだった。その瞬間、彼は覆いの下から学校の定規のような短い丸い木を取り出し、さっと唇に当てた。ホームズと私の拳銃が同時に火を吹いた。彼は両手を上げ、一回転すると、詰まった咳のような音を立てて船縁から河に落ちた。一瞬、水の白い渦の中に、悪意に満ちた脅すような目が見えた。その時、木の義足の男が舵に飛びつき、激しく下手に切った。オーロラ号は、警察艇があわや数フィートで衝突を免れて船尾を勢い良く通過する間に、南側の岸にまっすぐに向かった。すぐに警察艇は回りこんで後を追ったが、オーロラ号はすでに岸近くまで進んでいた。そこは月が広大な湿地帯をちらちらと照らし、よどんだ水と腐敗しかけた植物が川底に積もっている、荒涼とした寂しい場所だった。オーロラ号は、鈍いドスンという音を立てて、泥の堆積に乗り上げた。船首は空中に浮き、船尾が水に洗われた。男は船から跳びだしたが、すぐに義足が水に浸った土の中に完全に埋まった。男はむなしくもがき、体をよじったが、前にも後ろにも一歩も動く事は出来なかった。彼はやり場のない怒りの叫びをあげ、もう一方の足で狂ったように泥の中を蹴った。しかし暴れれば暴れるほど、木の棒はぬるぬるした浅瀬に深く沈んだ。警察艇を横付けしたとき、彼の体はしっかりと刺さっており、ロープを投げて背中に回し、なんとかそこから抜いて船べりまで引きずってくることができた。まるで、不吉な魚を吊り上げたようだった。スミス親子は、ふてくされたような態度でオーロラ号の中にいたが、命令されると、おとなしく警察艇に乗り込んできた。オーロラ号は、方向転換させて、警察艇の船尾に結わえ付けた。インド細工のずっしりとした鉄の収納箱がデッキの上に置いてあった。これが、ショルトの不吉な財宝を収めていた箱だというのは、疑問の余地がなかった。鍵はなかったが、かなり重量があったので、慎重に警察艇の狭い船室に移した。ゆっくりともう一度上流に戻る時、サーチライトをあらゆる方向に向けてみたが、島民の痕跡はなかった。我国にやってきた奇妙な訪問者の骨は、今もテムズ河底の黒い泥のどこかに眠っている。

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「これを見ろ」ホームズが木製の出入り口を指差して言った。「こっちの拳銃は一瞬勝っただけだ」私とホームズが立っていた真後ろに、見覚えのある、あの殺人矢が一本突き刺さっていた。発砲と同時に、矢は二人の間を目にもとまらぬ速さで通り抜けたに違いない。ホームズはこれを見て微笑み、いつもの何気ない調子で肩をすぼめた。正直に告白しよう。私はこの時、恐ろしい死に様が脳裏をよぎり、吐き気を覚えた。あの夜、死は間一髪の距離を通り過ぎていたのだ。