コンプリート・シャーロック・ホームズ
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少年は我々に構わず自分の仕事を続けていた。私はホームズが床一面に散らばっていた鉄や木の屑の間に視線を走らせるのを見た。しかし突然、後ろから足音が聞こえ、そこに宿屋の主人が立っていた。太い眉が残忍な目に覆いかぶさりそうになり、日に焼けた顔は激しい怒りに震えていた。彼は短い金属ヘッドがついた杖を手にしていた。そして物凄く脅迫的な態度で迫ってきたので、私はポケットにある拳銃の手触りを感じてほっとした。

「いまいましいスパイめ!」男は叫んだ。「そこで何をしているんだ?」

「どうしたんです、ルーベン・ヘイズさん」ホームズは冷静に言った。「何か見つけられて困るものでもあるみたいに思われますよ」

男は激しい努力で自制すると、不気味な口元を緩ませて、うそ臭い笑いを作った。それは睨みつける顔よりもなお恐ろしかった。

「俺の鍛冶場で何を見つけようと構わん」彼は言った。「しかしいいか、俺は許可なく自分の土地を人がうろつくのは気に入らんのだ。だからお前達がさっさと勘定を払ってここから出て行ってくれれば、ありがたいな」

「分かったよ、ヘイズさん、悪気はないんだ」ホームズは言った。「君の馬を見せてもらっていたんだが、結局歩こうと思う。そんなに遠くないだろうしね」

「館の門まで2マイル足らずだ。左手の道だ」彼は私達が家を出て行くまでむっつりした目で見つめていた。

そう遠くまで歩いて行かなかった。カーブに隠れて主人から我々が見えなくなった瞬間、ホームズが立ち止まったからだ。

「子供の言葉で言えば、あの宿でかなり熱いところまで行っていたな」彼は言った。「一歩離れるごとにどんどんと冷たくなっていくようだ。だめだ、絶対にここから離れられない」

「絶対に」私は言った。「あのルーベン・ヘイズは何もかも知っているな。あれほど一目見て分かる悪党には会った事がない」

「ああ!そんな風に感じたか?」あそこには馬がいた。あそこには鍛冶場があった。そうだ、あの闘鶏という宿は面白い場所だ。こっそりともう一度覗いてみよう」

私達の後ろには、灰色の石灰岩の巨石が点在する丘陵の斜面が大きく広がっていた。私達は道を逸れて、丘の上に向かって進んだ。その時、ホールダネス館の方に目をやると、一人の男が自転車に乗って勢いよく近づいてくるのが見えた。

「伏せろ、ワトソン!」ホームズが私の肩をぐっと押して叫んだ。男が道を飛ぶようにやってきて通り過ぎた時、私達はすんでのところで身をかがめて隠れた。もうもうと巻き上る土煙の中に、私はちらりと青白い興奮した顔を見ることができた。顔全体が恐怖の表情で、口は開き、目は恐ろしい形相で前を見ていた。それは昨夜会った小粋なジェームズ・ワイルダーをおかしな漫画にしたような顔だった。

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「公爵の秘書だ!」ホームズが叫んだ。「来い、ワトソン、彼が何をするか確かめよう」

私たちは宿の正面玄関を見渡せる場所まで、岩から岩へと急いで行った。ワイルダーの自転車が玄関脇の壁に立てかけてあった。家の周りで人が動く気配はなく、また窓の中に人の姿をうかがうことはできなかった。太陽がホールダネス館の塔の背後に落ちて行き、ゆっくりとたそがれが忍び寄ってきた。その時、薄暗い闇の中、宿屋の厩舎の庭で馬車の両側の側灯に火が入るのが見えた。間もなく蹄の鳴る音がして、馬車は道へ繰り出し、そして恐ろしい勢いでチェスターフィールドの方向に駆け出して行った。