コンプリート・シャーロック・ホームズ
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しかしホールに繋がる食堂は、暗くて陰気な場所だった。それは細長い部屋で、家族が座る高座は、使用人のために用意された低い部分と段差で仕切られていた。突き当たりの部屋を見下すような場所に演奏家の桟敷があった。黒い梁が頭の上を延び、その上は煙で黒くなった天井になっていた。かつてのように、揺らめくたいまつの列が部屋を照らし、鮮やかな色彩と荒っぽい宴会でもあれば、部屋の雰囲気も違ったかもしれない。しかし今、覆いをつけたランプが投げかける小さな光の輪の中に、黒い服を来た男が二人だけで席につくと、話し声は小さくなり気持ちは落ち込んできた。頭上にはぼんやりと、エリザベス時代のナイトから摂政時代のしゃれ者まで、様々な服装をした祖先たちの肖像画が並んでいて、私たちをじっと見下ろしていた。そしてこの物言わぬ同席者に私たちは威圧された。私とバスカヴィルはほとんど話をしなかった。そして食事が終わり、新しいビリヤード室に戻って葉巻を一服た時、私は救われたような気持ちだった。

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「いやはや、あまり楽しい場所ではないな」サー・ヘンリーが言った。「あれで落ち着く人もいるかと思うが、今はちょっとなじめない気がするな。こんな家に一人で住んでいたら、叔父がちょっと神経質になったのも不思議ではない。しかし、もし良かったら、今日は早く休まないか。たぶん朝が来ればもっと楽しく思えるだろう」

私はベッドに行く前に、カーテンを開け、窓から外を眺めた。窓は玄関ホールの正面に位置する芝生に面していた。その向こうには、強くなってきた風に唸りを上げて揺れる雑木が二本立っていた。競い合うように流れる雲の切れ間から半月が姿を現した。その冷たい月光の中で、私は木の向こうに見えるギザギザした岩の輪郭と長く低くうねる陰鬱な荒野を眺めた。この日の最後の印象もたいして変わり映えがしないなと思いながら、私はカーテンを閉めた。

しかしそれは本当に最後の印象ではなかったのだ。私は疲れていたが目が冴えてなかなか眠れず、ひっきりなしに寝返りを打った。はるか遠くで、15分後ごとに時計のチャイムが鳴った。しかしそれが終わると、この古い家は死のような沈黙に包まれた。夜が完全にふけきったその時、突然、私の耳にはっきりと響き渡る音が飛び込んで来た。聞き間違えようがなかった。それは女性のすすり泣く声だった。喉を詰まらせたようにあえぎ、声を押し殺し、どうしようもない悲しみに心を引き裂かれたような泣き声だった。私はベッドに起き上がり一心に耳を傾けた。それは遠くから聞こえたものではありえない。間違いなく家の中からの声だった。30分間、私は全神経を張り詰めて待ち構えた。しかしもう音は聞こえなかった。聞こえてきたのは、ただ時計のチャイムと壁のツタが揺れる音だけだった。