ブラック・ピーター 8 | 犯人は二人 1 | 犯人は二人 2 |
これから私が話す事件が起きてから、かなりの年月が経つが、それでもこれを取り上げるのにはためらいがある。長い間、どんなに曖昧な書き方をしようとも、この事件に関係する事実を公表する事は不可能だった。しかし今や事件の中心人物には現世の法の裁きが及ばないので、情報を適切に抑制すれば、この話をだれにも害を及ぼさない形で記述することができるかもしれない。この事件簿には、シャーロックホームズと私の経歴の中で、二度とない体験が記録されている。もし実際の出来事を追跡される恐れがある日付やその他の事実について私が公表を控えたとしても、読者諸氏にはそれを許していただきたい。
ホームズと私は、午後遅くから散歩に出かけ、戻ってきたのは、寒く凍りつくような冬の六時頃だった。ホームズがランプをつけると、テーブルの上の名刺が照らし出された。彼はそれをちらっと見ると、不愉快なものを目にしたかのように喉を鳴らして、床に投げ捨てた。私はそれを拾い上げて読んだ。
チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン
アップルドー・タワーズ
ハムステッド*
仲介業
「これは誰なんだ?」私は尋ねた。
「ロンドンで最悪の男だ」ホームズは座って暖炉の前に足を伸ばしながら答えた。「名刺の裏に何か書いてあるか?」
私は名刺をひっくり返した。
「6時半にまた来る、C. A. M.」
「フム!そろそろ来るな。ワトソン、君は動物園で蛇の前に立つと、邪悪で扁平な顔、恐ろしい目、スルスルと滑るように進む、毒牙を持ったこの生物を見て、背筋がぞっとするような感覚が起きないか?僕はミルヴァートンにそんな印象を受ける。僕はこれまで仕事上で50人の殺人鬼と対峙しなけれればならなかった。しかしその中の最低の男でも、この男に対して抱くような嫌悪感は覚えなかった。それでも僕はこいつとの取引から逃げられないのだ、 ―― 実は、僕がここに呼んだんだ」
「いったい何者なんだ?」
「いいか、ワトソン。こいつはあらゆる恐喝者の王だ。神よ、秘密と名声がミルヴァートンの手に握られた男を救いたまえ!さらに女をもっと救いたまえ!冷徹な心で、微笑みながら彼はカラカラに乾き切るまで徹底的に締め上げる。こいつはその道の天才だ。何かもっとまともな商売でも名をあげただろうにな。やり口はこうだ。こいつは、富と名声を持った人々の立場を危うくする文書があれば非常な高額で買う用意がある事を宣伝しておく。こいつは、裏切り者の従者やメイドからだけでなく、騙されやすい女性の信頼と愛情を勝ちとった上流階級の悪人からも、しばしばこういう商品を調達する。金に糸目はつけない。僕は偶然、こいつが2行の手紙に対して従者に700ポンド支払い、最終的にある貴族が破滅したのを耳にしたことがある。市場に出回っているものは全部ミルヴァートンのところへ集まる。そしてこの大都会には彼の名前を聞いて青ざめる人間が何百人といる。誰がこいつの餌食になるか分からない。こいつは非常に金回りがよくてずる賢い奴だから、慌てて投資を回収しようとはしない。勝った時の儲けが最大になる瞬間まで、カードを切らずに何年でも寝かしておくだろう。僕はこいつがロンドンで最悪の男だと言った。君に尋ねてみたい。かっとなって仲間を棍棒で殴るごろつきと、既にパンパンに膨れ上がった財布にさらに金を詰め込もうと、時間をかけて系統的に相手の心をいたぶり神経を締め上げるこの男が比較になると思うか?」
私はホームズがこのように感情を剥き出しにして話すのは、ほとんど聞いたことがなかった。
「しかし間違いなく」私は言った。「そんな奴は警察が放っておかんだろう?」
「理論的にはもちろんその通りだが、実務的には不可能だ。たとえば奴を数ヶ月投獄したところで、そのすぐ後自分の破滅がやって来るのなら、脅迫されている女性になんの利益があるだろう。彼の犠牲者はあえて反撃したりしないよ。もし奴が後ろめたいところのない人物をゆすれば、もちろん逮捕できるだろう。しかし奴は悪魔のように狡猾だ。だめだ、だめだ、奴と戦うには別の手段を見つけなければならない」
「それでなぜ彼はここに来るんだ?」
「それはある著名な依頼人が、哀れな事件を僕に依頼してきたからだ。それは、レディ・イーバ・ブラックウェル、昨シーズン社交界にデビューした最も美しい女性だ。彼女は二週間後にドバーコート伯爵と結婚することになっている。この悪魔は何通かの軽率な手紙を持っている、・・・・軽率だ、ワトソン、それ以上ではない・・・・、これは地元の貧乏な若い郷士に宛てて書いたものだ。これで、結婚が破談になるのは間違いない。ミルヴァートンは巨額の金が支払われない限り手紙を伯爵に送るはずだ。僕は彼と会って出来る限り好条件で取引することを依頼されたんだ」
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