コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「あなたをすぐに呼ばなかったのは馬鹿でした、ホームズさん。しかし、それはもう取り返しのつかないことです。そうです。部屋の中には私が特に関心を引かれたものが幾つかありました。その一つは犯罪の凶器となった銛です。それは壁のラックから下ろされた物です。他の二本は壁に残っていましたが、三本目のラックが空になっていました。握りには「SS. シー・ユニコーン ダンディー」と彫り込まれていました。これは、犯行が発作的なもので、殺人犯は一番手近な武器をつかんだという証拠に思えました。犯行時刻が午前二時だったにもかかわらず、ピーター・キャリーがきちんと服を着ていたという事実は、彼が殺人犯と会う約束をしていたことを示唆します。それを裏付ける事実が、テーブルの上にあったラム酒の瓶と汚れたグラスです」

「そうだ」ホームズは言った。「どちらの推測も可能だと思う。部屋の中にラム酒以外の酒はあったのか?」

「ええ、海員所持品箱の上の酒棚にブランデーとウィスキーがありました。しかし、この事件には全く重要ではありません。デカンタは一杯で、飲まれていません」

「それでも、その酒があったのはかなり重要だ」ホームズは言った。「しかし、君が間違いなくこの事件に関係があるとみなしている物について、もう少し説明してくれ」

「テーブルの上に煙草の袋がありました」

「テーブルのどの辺だ?」

「真中に置いてありました。荒いアザラシ革で出来ていました、 ―― 直毛の毛皮です。口を縛る革紐がついていました。折れ口の内側に P. C. と書いてありました。強い船員煙草が半オンス入っていました」

「素晴らしい!他には?」

スタンレー・ホプキンズはポケットから茶色い表紙の手帳を取り出した。外側はざらざらして痛んでいて、中の紙は変色していた。最初のページに書かれていたのは、J. H. N. というイニシャルと、1883年という日付だった。ホームズはそれをテーブルの上に置き、ホプキンズと私が肩の両側から覗き込んでいる間に、いつものように入念な方法で調べた。二番目のページに C. P. R. という文字が書かれていた。そして何ページか数字が書かれていた。他の見出しは「アルゼンチン」「コスタリカ」「サンパウロ」などで、それぞれのページの後には記号と数字があった。

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「これらをどう思う?」ホームズは言った。

「証券取引所の有価証券一覧のように見えますね。私はこのJ.H.N.は仲買人のイニシャルで、C.P.R. は彼の顧客だったかもしれない考えました」

「C.P.R. はカナダ太平洋鉄道、でどうだ」ホームズは言った。

スタンレー・ホプキンズは歯ぎしりしてうめき、拳を握り締めて腿を打った。

「なんて馬鹿だったんだ!」彼は叫んだ。「もちろん、あなたのおっしゃるとおりです。そうなると、不明なイニシャルは、J.H.N.だけになりますね。私はすでに古い証券取引一覧を調べました。しかし、1883年には取引所内部にも外部の仲買人の中にもこのイニシャルに該当する人物は見つかりませんでした。しかし私は自分入手した手がかりのうち、これが一番重要だと思っています。ホームズさん、あなたもこのイニシャルは、現場にいたもう一人の男、言い方を変えると殺人者のイニシャルの可能性がある事は、認めるでしょう。それに、ここは強調したいのですが、この事件に多量の有価証券に関する資料が関係しているとなれば、初めて犯行の動機がぼんやりと浮かび上がってはこないでしょうか」

シャーロックホームズの顔を見ると、この新しい情報に完全に不意をつかれたようだった。

「その二点は認めなければならない」彼は言った。「この調査記録に出て来なかった手帳で、僕は自分が思い描いてきた視点に修整が必要になったと言わざるをえない。僕はこの犯罪の結論を出していたが、そこにはこれが入る余地はない。この手帳に書かれている有価証券は追跡できたのか?」

「警察で今調査中ですが、残念ながら、問題の南アメリカ株の完全な株主原簿は南アメリカにしかなく、この株を追跡するのに数週間はかかりそうです」

ホームズは拡大鏡を使ってノートの表紙を調べていた。

「ここに間違いなく少し変色した部分がある」彼は言った。

「ええ、それは血痕です。その手帳を床から拾い上げたという話はさっきしました」

「この血痕は上にあったのかそれとも下かね?」

「床板についていた方です」

「それでは当然、この手帳が落ちたのは犯行後だという事だ」

「その通りです、ホームズさん。その点は私も見逃しませんでしたし、殺人犯が急いで逃げる時にそれを落としたと推測しました。手帳は扉の近くに落ちていました」

「多分、この証券は殺された男の持ち物の中になかったんだろうな?」

「ありませんでした」

「盗まれたかもしれないという証拠はあるか?」

「いいえ。荒らされた形跡は何もないようです」

「やれやれ、これは確かに興味深い事件だ。それから、ナイフがみつかったんだったな?」

「鞘つきのナイフです。鞘に収まったままでした。殺された男の足元に落ちていました。キャリー夫人がそのナイフは夫の物だと確認しています」

ホームズはしばらくの間考えこんでいた。

「よし」彼は遂に言った。「どうやらこの辺で実際に現場を見に行く必要があるな」

スタンレー・ホプキンスは喜びの叫びを上げた。

「ありがとうございます。それで本当にほっとしました」

ホームズは警部に向かって指を振った。

「一週間前ならもっと簡単だったろうがな」彼は言った。「しかし今からでも僕が行けば何か成果があるかもしれない。ワトソン、もし時間の余裕があれば、一緒に来てくれれは非常にありがたい。四輪馬車を呼んでくれ、ホプキンズ。そうすれば15分でフォレスト・ローに向かう用意が出来る」