コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「これは!ワトソンじゃないか」彼は言った。彼は麻薬の反動で全身がぶるぶる震える惨めな状態だった。「聞いていいか、ワトソン、何時だ?」

「11時近い」

「何日の?」

「1月19日の金曜日だ」

「なんてことだ!水曜日かと思っていた。水曜日に違いない。僕を脅かしてどうするんだ?」彼は腕の中に顔を埋めて、金切声で泣き始めた。

「今日は金曜日だよ。君の奥さんは二日間君を待っている。恥ずかしいとは思わないのか!」

「そのとおりだ。しかし君は間違っているよ、ワトソン。僕はここに数時間いただけだ。パイプを三服、四服、…どれだけ飲んだか忘れた。しかし、君と一緒に家に帰るよ。ケイトを心配させるつもりはない ―― 可哀想なケイト。手を貸してくれ。馬車で来たのか?」

「そうだ、一台待たせてある」

「ではそれに乗ろう。しかし支払いがあるはずだ。幾らか調べてくれないか、ワトソン。僕は完全にフラフラだ。自分では何にもできない」

私は汚い睡眠作用のある麻薬の煙を吸わないようにしながら、両側に人間が寝転んで列を作っている狭い通路を歩いて行き、管理人を探した。火鉢の側に座っている背の高い男を通り過ぎようとした時、上着の裾を急に引っ張られた感じがした。そして小さくつぶやく声がした。「僕を通り過ぎた後、振り返って見ろ」この言葉は非常にはっきりと私の耳に届いた。私は下を見た。その声の主は、隣にいる老人以外には考えられなかった。しかし彼は相変わらず夢うつつだ。ガリガリに痩せ、皺だらけで、年老いて背中が曲がり、膝の間から指の力が完全になくなって落としたかのようにアヘンパイプがだらりと下がっている。私は二歩前に進んで振り返った。そして驚いて叫び声を上げそうになるのを必死でこらえた。彼は私だけに見えるように背中の角度を変えていた。彼の体は肉付きがよくなり、皺がなくなり、濁った目に輝きが戻り、そしてそこで、火の側に座って私が驚くのをニヤリと見ていたのは、紛れもなくシャーロックホームズだった。彼はほんの少しの動きで私を手招きした。そして仲間の方にもう一度顔を半周すると、ホームズはすぐに元のよろよろした口元の緩んだ老人に戻った。

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「ホームズ!」私はささやいた。「この窟でいったい何をしているんだ?」

「できるだけ小さな声でな」ホームズは答えた。「耳はすばらしく良いんでね。よければ、その馬鹿な友人を追っぱらって君と少し話を出来たら非常にありがたいんだが」

「外に辻馬車を待たせている」

「では、それに乗せて送り返してくれ。もう彼を信用しても大丈夫だろう。これ以上悪さをしようにも、足腰が立たないみたいだからな。御者には、彼と一緒に、君の奥さん宛ての手紙をことづけて、僕と出かけることになったと知らせるといい。もし外で待っていてくれるなら、五分で君のところに行く」

シャーロックホームズの依頼を断るのは難しかった。いつも非常に断定的で、言い方は穏やかだが、支配的な雰囲気で告げられるためだ。しかしホイットニーを辻馬車に押し込めば、私の使命は実質的に完了するというのも、その通りだった。その先は、ホームズにとっては日常茶飯事だとしても、私にとっては不思議この上ない彼の冒険に同行するより面白そうな事は望むべくもなかった。数分で私は手紙を書き、ホイットニーの支払いを済ませ、彼を連れ出して馬車に乗せると、暗闇の中を去っていくのを見送った。すぐ後でよぼよぼの人物がアヘン窟から姿を現し、私はシャーロックホームズと一緒に通りを歩いていった。二丁ほどまでホームズは腰をかがめて足を引きずり、おぼつかない足どりだった。その後、あたりを見回し、すっと立ち上がり大声で笑い出した。