コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「ケンジントンロードで、モース・ハドソンの店から数百ヤード以内のところにバーニコット博士という有名な開業医が住んでいます。彼はテムズ川の南側で最も手広くやっている医者の一人です。彼の住まいと主診察室はケンジントンロードにありますが、二マイル離れたロウワ・ブリクストン・ロードに診療所兼薬局の分室があります。このバーニコット博士はナポレオンの熱烈なファンで、彼の家はナポレオンの本、絵画、記念品で一杯でした。かなり前になりますが、彼はフランスの彫刻家ドゥヴィーヌ作の有名なナポレオン頭部彫刻の複製石膏像を二個、モース・ハドソンから購入し、その一つをケンジントンロードの家のホールに置き、もう一つをロウワ・ブリクストン診療所のマントルピースの上に置きました。さて、バーニコット博士は今朝下りてきて、夜間に誰かに侵入されたのを発見して仰天しました。しかしホールの石膏頭像以外、何も盗られたものはありませんでした。石膏像は外に持ち出されてから激しく庭の壁に叩きつけられ、壁のかたわらで粉々になった破片が発見されました」

ホームズは手をこすりあわせた。

「これは確かに非常に目新しい」彼は言った。

「あなたが喜ぶだろうと思っていましたよ。しかし話はまだ続きがあります。バーニコット博士は12時に診療所で予約がありました。そこに到着すると夜の間に窓がこじ開けられており、二つ目の胸像は粉々になって部屋中に散らばっていました。これを発見した時、彼がどれほど驚いたかは想像がつくでしょう。石膏像は置いてあった場所で粉々になっていました。どちらの事件も、この犯行に及んだ犯罪者か精神異常者への手掛かりとなるような痕跡は残っていませんでした。さあ、ホームズさん、事実関係は以上です」

「奇怪とまでは言えないにしても、変わっているな」ホームズは言った。「訊かせてくれ。バーニコット博士の部屋で壊された二つの胸像は、モース・ハドソンの店で破壊された胸像とまったく同じ物なのか?」

「全部、同じ型から取られたものです」

「その事実は、ナポレオン全体を憎悪している男が像を破壊したという説にとっては不利と言わざるを得ない。どれほど膨大な数のナポレオン像がロンドンに存在するかということを考えれば、見境のない偶像破壊者が、仕事を始めるにあたって、たまたま壊したものが同じ種類の胸像三体だったというような偶然の一致は考えられない」

「ええ、私もそう考えました」レストレードは言った。「確かにそうですが、このモース・ハドソンはロンドンのこの地域での胸像の卸業者で、何年間も、店に置いていたのはこの三点だけでした。ですから、もちろんあなたの言うように、ロンドンには何百と言う像があるでしょうが、この辺りには、その三点しか存在しなかったという可能性は非常に高い。結果的に、この地に住む狂信者が手始めにその三点を壊したとも考えられます。あなたはどうお考えでしょう、ワトソン博士?」

「変質狂の行動には限度がないですからね」私は答えた。「近代フランスの精神学者が『脅迫症』と呼ぶ症状があります。性格にはほとんど影響を及ぼさないし、それ以外の点では完全に正常な人間でも起きることがあります。ナポレオンに関する本を夢中になって読んだか、ナポレオン戦争の最中に先祖が被害を受けた者が、もしかするとそのような脅迫症を発症するかもしれない。その影響下ならどんな変わった凶行も考えられますね」

「それはないな、ワトソン」ホームズが首を振りながら言った。「どんなに脅迫症が強くても、君の興味深い偏執狂が、この胸像の置き場所を見つけ出すことは不可能だ」

「では、君はどのように説明するんだ?」

「説明を試みるつもりはない。ただ、僕はこの男の風変わりな行動にははっきり筋が通っている部分がある事を指摘したい。例えばバーニコットのホールでは、そこで音を出すと家族を起こす可能性があったので、胸像を壊さずに外に持ち出している。ところが、周りに知られる危険が少ない診療所では、置いてあった場所で壊されている。この事件は馬鹿馬鹿しいほど下らないように思えるが、それでも僕はあえて下らないものはないと言いたい。僕が関わった事件の中で、最初の時点では非常につまらなそうに思えた事件から、典型的な事件を何件か思い返して見ればそう言える。ワトソン、君は、アバネッティ一家の恐ろしい事件が、初めて僕の注目を引いたのは、暑い日にパセリがバターの中に沈む深さだったという事を覚えているだろう。だから僕は君の三つの胸像を鼻であしらう余裕はない。というわけで、レストレード、もしこの奇妙な連続事件に新しい展開があれば、どんなことでも連絡してもらえれば、僕は君に非常に感謝する」