コンプリート・シャーロック・ホームズ
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長い一日だった。ドアがノックされるたび、鋭い足跡が通りを過ぎるたびに、私はホームズが帰ってきたのか、広告に返答があったのかと、想像をめぐらせたものだ。私は本を読もうとしたが、考えは、今手がけている奇妙な捜査と、我々が追跡している奇妙な二人の凶悪犯へと、逸れていった。私は考えた。ホームズの推理に何か根本的な誤りがあったのだろうか?彼が何か大きな勘違いをしているということはないだろうか?彼の素早い推論的な心が、間違った前提の上に乱雑な理論を構築してしまったということはありえないだろうか?私は彼が間違ったのを見た事がないが、どんなに鋭い理論家でも時には間違うことがあろう。彼はおそらく自分の理論を洗練しすぎて間違いに陥ったのだと、私は思った。もっと簡単で、もっと当たり前のものがすぐ側にあるのに、彼は微妙で奇妙な説明を求めてしまったのだと。しかし一方で、私自身も事件の証拠を見て、彼の推理の根拠を聞いた。奇妙な出来事の長い連鎖を振り返ってみれば、その多くがひとつひとつはつまらないものだが、すべて同じ方向を指している。私は、仮にホームズの考えが正しくなくても、真相はそれと変わらないほど奇異で衝撃的だろうという考えを打ち消すことはできなかった。

その日の午後の三時、大きな音でベルが鳴り、ホールから横柄な声が聞こえた。そして驚いた事に、誰あろうアセルニー・ジョーンズその人が目の前に姿を現した。しかし、彼はアッパー・ノーウッドで自信たっぷりに事件を引き継いだ、ぶっきらぼうで横柄な「常識教授」とは別人だった。意気消沈した表情で、態度はおとなしく、申し訳なさそうなほどだった。

「こんにちは」彼は言った。「シャーロックホームズさんは外出しているとうかがいました」

「ええ、何時に帰ってくるか分かりません。しかし、どうやらお待ちになるつもりのようですね。その椅子にお掛けになって、こちらの葉巻を一本いかがですか」

「ありがとう、そうさせてもらいます」彼は赤い大きなハンカチで顔を拭いながら言った。

「ウィスキー・ソーダはいかがですか?」

「ああ、コップに半分だけ。この季節にしてはやけに暑いですね。それにやきもきする悩ましい事でいっぱいです。ノーウッド事件に関する私の推理はご存知でしょう?」

「何かおっしゃっていましたね」

「ええ、私はそれを再検討しなければならなくなりました。私はショルト氏の周りに張った網を堅く締めて行ったのですが、真中の穴からするっと抜けられました。彼には動かしようのないアリバイがあったのです。ショルト氏は兄の部屋を出た時刻以降、ずっと誰か別の人間に目撃されていました。したがって、屋根に登って、跳ね上げ戸をくぐった人物は彼ではありません。事件の先行きが不透明になって、私の職業的信用は危機に瀕しています。ちょっとでも手助けがあれば、本当にありがたいですね」

「誰でも手助けが必要な時がありますからね」私は言った。

「あなたの友人のシャーロックホームズさんは、素晴らしい人です」彼は低い打ち解けた声で言った。「彼は負け知らずです。私は彼が手がけた事件を数多く知っていますが、解決できなかった事件は見たことがありません。あの人のやり方は普通ではありませんし、おそらく理論を組み立てるのが少々速過ぎます。しかし全体として考えれば、あの人は非常に将来性のある警官になっていたとだろうと思います。これは、誰の前で公言しても平気です。私は今朝ホームズさんから電報を受け取りました。それで彼がこのショルトの事件で何か手がかりをつかんだと分かりました。これがその電報です」

彼はポケットから電報を取り出して私に手渡した。十二時にポプラーから発信されていた。

すぐにベーカー街に来られたし。もし僕が戻っていなければ、待っていてくれ。ショルトの犯人達に迫っている。もし解決現場に居合わせたいなら、今夜我々と一緒に来られたし。

「これはよさそうですね。明らかに見失った手がかりをまたつかんだようです」私は言った。

「ああ、ではホームズさんもお手上げだったんですね」ジョーンズはさも満足そうに叫んだ。「どんなに優れた人間でも、時には迷う事がある。もちろん、この電報が見込み違いという事になるかもしれません。しかしどんなチャンスも逃がさないのが、法を守る役人としての務めです。しかし戸口に誰か来ましたよ。もしかするとホームズさんでは」

苦しい息づかいのような、ゼーゼー、ゴロゴロという大きな音と共に、階段を上がってくる非常に重い足音が聞こえた。一、二度、階段を上るのがきついかのように立ち止まっていたが、やっと戸口にまでたどり着き、男が部屋に入ってきた。その外見は既に聞こえてきた音にふさわしいものだった。男は年配で、船員の服を着て、古いピー・ジャケットのボタンを喉元まで閉めていた。背中は曲がり、膝はがくがくし、息は喘息持ちのように苦しそうだった。オークの杖にもたれ掛かっている時、必死で肺に空気を入れようと肩を上下させていた。顎の周りには色のついたスカーフが巻かれていた。このため、ボサボサの白い眉が垂れ掛かった鋭い黒い目と、長い灰色の頬髯以外、ほとんど顔は見えなかった。元は立派な船長だったが寄る年波と貧困で落ちぶれた老人、 ―― これが私の受けた全体の印象だった。

「何でしょうか?」私は尋ねた。

彼は老人特有の、ゆっくりとした念入りな態度であたりを見回した。

「シャーロックホームズさんはいらっしゃいますか?」彼は言った。

「いいえ。しかし私が彼の代理です。彼に伝えることがあれば、私におっしゃっていただいて結構です」

「私はホームズさんとお話しよう思って来たんです」彼は言った。

「しかし、私が代理だと申し上げたでしょう。モーディカイ・スミスの船の件ですか?」

「そうです。私はどこにあるか良く知っています。それと、彼が追っている男達がどこにいるか、財宝がどこにあるかも、知っています。私はみんな知っています」

「じゃあ私に話してくれ。そうすれば私から彼に知らせる」

「私はホームズさんとお話しよう思って来たんです」彼は、もうろくした年寄りの横柄な頑固さで、またこう言った。

「じゃあ、帰ってくるのを待つしかないな」

「いや、いや、私は誰のためにもならないのに、丸一日無駄にするつもりはない。もしホームズさんがここにいないのなら、全部自分で見つければいい。私はあなた方二人には関心がないし、何も言うつもりはない」

彼は扉の方に脚を引きずって行った。しかしアセルニー・ジョーンズが彼の前に立ちはだかった。

「ちょっと待った、おじいさん」彼は言った。「あんたは重要な情報を持っている。出て行くことは許さん。あんたがどう言おうと、ホームズさんが帰ってくるまでここに居てもらう」