コンプリート・シャーロック・ホームズ
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「単純なことだ」彼は私の驚きにくすくす笑いながら言った。「馬鹿げたほど単純なので説明は余分なくらいだ。しかしそれでも、観察と推理の分岐点を定義つける役目は果たせるだろう。僕は、観察によって君の靴の甲の上に小さな赤い土が付着していることを知った。ウィグモア通りの郵便局のちょうど向かいで、敷石を剥がして土が掘り返されており、それを踏まずに中に入れないような積み上げ方をしている。その土は特徴ある赤味を帯びていて、僕の知る限り、この辺りではあの場所以外には見あたらない。ここまでが観察だ。後は推理になる」

「じゃ、どうやって、君は電報のことを推理したんだ?」

「まず、僕は君が手紙を書いていなかったことを知っている。僕は午前中ずっと君の向かいに座っていたんだからね。僕はそこにある机の中に、君が切手と分厚いハガキの束を置いているのも知っている。ということは、電報を打つ以外に郵便局に何の用があるというんだ?他の要因を取り除いていけば、残った一つが真実でなければならない」

「この場合は確かにそうだ」私は少し考えて答えた。「しかしこの件は、君の言うように、非常に単純なものだ。もし僕が君の理論をもっと厳格にテストをしようとすれば、失礼にあたるかな?」

「それどころか」彼は答えた。「二回目のコカインを打たなくてもすみそうだ。君が僕にどんな問題を提供しても、喜んで調査するよ」

「君はたしか、人間が日常的に使っている物にはすべて持ち主の個性が刻まれ、熟達した観察者ならそれを読み取れると言っていた。私が最近入手した時計がここにある。もし良ければ、最後の所有者の個性や習慣について、見解を述べてもらえないか」

私は彼に時計を手渡す時、心の中で快哉を叫びたい気分だった。なぜなら私の考えでは、このテストは無理難題だったからだ。私はそれを、彼が時々独善的な態度になるのを戒める種にするつもりだった。彼は手の上で時計の平衡を計り、文字盤をじっと見つめ、裏蓋を開け、そして最初は裸眼で次に高倍率の拡大鏡でムーブメントを調べた。最後にその裏蓋をパチンと閉じて私に返した時、私は彼の残念そうな顔を見て思わず口元がほころんだ。

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「ほとんどデータがないな」彼は言った。「この時計は最近掃除されているために、示唆的な事実が読み取れない」

「その通りだ」私は言った。「僕のところに送ってくる前に掃除された」私は、ホームズが自分の失敗を繕おうとして、非常に説得力のない情けない言い訳を最初に言った事に対して、心の中で彼を糾弾した。たとえ掃除していなくとも、時計一つからどんなデータを読むつもりだったというのだ?

「満足とまではいかないが、調査が無駄だったわけではなかった」彼は夢心地のぼんやりした目で天井を見上げて言った。「間違っているかもしれないが、僕はその時計は君の兄のものだったと判断する。お兄さんはそれを君の父から受け継いだ」

「きっと君は裏の H. W. からそう判断したんだな?」

「その通りだ。その W. は君の名前を暗示する。その時計はほとんど50年くらい前のものだ。そしてそのイニシャルは時計と同じくらい古い。したがってその時計は一つ前の世代のために作られたものだ。貴金属類はたいてい長男に相続される。そして長男は父と同じ名前の可能性が非常に高い。もし僕の記憶が正しければ、君のお父さんは、かなり昔に亡くなった。したがってそれは、君のお兄さんの手にあった」

「そこまでは間違っていない」私は言った。「何か他には?」

「彼はだらしない生活習慣の人物だ、 ―― 非常にだらしなく不注意だ。彼は将来有望と見られていた。しかし彼はチャンスを棒に振り、かなりの期間貧しい生活をした。時折、羽振りの良い時期があったが、これは長続きせず、最後に酒に溺れて死んだ。僕が推測できるのはここまでだ」

私は椅子から跳び上がり、物凄く苦い気持ちで、足を引きながらせかせかと部屋を歩いた。

「これは卑劣だ、ホームズ」私は言った。「君がここまで恥ずかしいことをするとは信じられない。君は僕の不幸な兄について調査をしていて、今、ちょっと奇抜な方法でその知識を推理したような振りをした。君がそれを全部、この古時計から読み取ったなどと、僕が信じると思うか!これは非情だ。率直に言えば、ちょっとしたイカサマだ」