コンプリート・シャーロック・ホームズ
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我々が欧州大臣の家に着いた時、シャーロックホームズが面会を求めたのはヒルダ・トレローニー・ホープ夫人だった。我々は居間に通された。

「ホームズさん!」夫人は言った。彼女の顔は憤り紅潮していた。「これは間違いなく不正で卑劣なやり方です。私はあなたの所に行ったのを秘密にするように、そして夫の事に立ち入っているのを気付かれないようにと、お願いしたじゃありませんか。それなのにあなたはここに来て仕事上の関係があることを暴露して、私の立場を危うくしています」

「残念ですが、他に方法がありませんでした。私は途方もなく重要な書類を取り戻す命を受けています。ですからあなたにどうぞそれを渡すようにとお願いに来る必要があったのです」

夫人はぱっと立ち上がった。美しい顔から血の気がさっと引いた。目がうつろとなり、・・・・彼女はよろめいた・・・・、私は彼女が気を失うと思った。それから、必死の努力で彼女はショックから持ち直し、そしてこの上ない驚きと憤りが、彼女の顔から他の表情をすべて追い払った。

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「あなたは、・・・・あなたは私を侮辱しています、ホームズさん」

「やれやれ、無駄です。手紙を渡しなさい」

彼女はベルの所まで走っていった。

「執事にあなたを追い出してもらいます」

「鳴らさないで下さい、ヒルダ夫人。もし鳴らせば、スキャンダルを避けようとする私の精一杯の努力がすべてに水の泡になります。手紙を渡せばすべて上手く行きます。もしあなたが私に協力すれば、私がすべてをお膳立てします。もし私に敵対するなら、あなたの秘密を暴かねばなりません」

彼女は女王の姿で、尊大で反抗的に立っていた。彼女の目はあたかも心の底を読もうとするかのようにホームズの目を睨んでいた。彼女の手はベルにかかっていたが、それを鳴らしていなかった。

「私を脅そうと言うんですね。こんな所まで来て女性を脅すのは男らしいことではありませんよ、ホームズさん。あなたは何か知っていると言いましたね。何をご存知なのでしょう?」

「お座りください。そこで倒れると怪我をしますよ。あなたが座るまでは話しません。結構です」

「五分間差し上げます、ホームズさん」

「一分あれば十分です、ヒルダ夫人。私は知っています。あなたがエドアルド・ルーカスのところに行ったこと、あなたが文書を彼に渡したこと、あなたが昨夜巧妙にあの部屋に戻ったこと、そしてあなたが絨毯の下の隠し場所から手紙を取った様子を」

彼女は真っ白な顔で彼を見つめ、声が出せるまでに二度喉を鳴らした。

「狂っています、ホームズさん、・・・・あなたは狂っています!」遂に彼女は叫び出した。

彼はポケットから小さな厚紙を取り出した。それは肖像写真から切り抜かれた女性の顔写真だった。

「私は役に立つかもしれないと思ってこれを持って来ました」彼は言った。「警官があなたの顔を覚えていました」

彼女はハッと声を上げ、椅子の背もたれに頭を沈めた。

「さあ、ヒルダ夫人。あなたが手紙を持っている。事態はまだ修復可能だ。私はあなたを面倒に巻き込みたいとは思っていない。なくなった手紙をあなたの主人に戻した時、私の任務は終わりです。私の助言を受け入れて隠し立てしないで下さい。それがあなたのたった一つのチャンスです」

彼女の度胸はたいしたものだった。この期に及んでも彼女は負けを認めようとしなかった。

「もう一度言います、ホームズさん。あなたは馬鹿げた妄想を抱いています」

ホームズは椅子から立ち上がった。

「残念です、ヒルダ夫人。私は出来る限りの事をしました。すべて無駄なようですね」

彼はベルを鳴らした。執事が入ってきた。

「トレローニー氏はご在宅かな?」

「もうすぐ帰ってきます。一時十五分前に」

ホームズは時計に目をやった。

「まだ十五分ある」彼は言った。「ありがとう、待たせてもらう」

執事が扉を閉めるや否や、ヒルダ夫人は両手を差し伸べて、涙に濡れた美しい顔を上に向けてホームズの足元にひざまずいた。

「ああ、許して下さい、ホームズさん!許して!」彼女は狂ったように懇願して訴えた。「お願いですから、主人には言わないで!私は主人を愛しています!私は主人の人生に一つの影も落としたくない。なのに、これで主人の気高い心が粉々になる事が分かっています」

ホームズは夫人を抱き起こした。「私は感謝しています。この最後の瞬間であっても分別を取り戻した事を!一瞬も無駄にはできません。手紙はどこです?」

彼女はライティング・デスクに駆けより、鍵を開け、細長い青い封筒を引き出した。

「これです、ホームズさん。これを見なかったらよかったのに!」

「どうやってこれを戻したものか?」ホームズはつぶやいた。「急げ、急げ、何か手を見つけないと!書類箱はどこです?」

「まだ寝室にあります」

「それはなんと言う幸運だ!奥さん、急いでそれをここに持って来てください!」

すぐに彼女が赤く薄い箱を手に持って現れた。

「前にどうやって開けたんです?合鍵を持っているんですか?もちろん持っていますね。開けて下さい!」

ヒルダ夫人が胸元から小さな鍵を取り出した。箱はぱっと開いた。中は書類で一杯だった。ホームズは青い封筒を他の文書の紙の間に奥深く差し込んだ。書類箱は閉められ、鍵をかけられ、寝室に戻された。

「これで彼を迎える用意が出来た」ホームズが言った。「まだ10分あります。私はあなたを庇うためにかなり無理をしています、ヒルダ夫人。そのかわりに私にこのとんでもない事件の真相を率直に話して下さい」