コンプリート・シャーロック・ホームズ
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公爵と秘書が出て行くと、ホームズは直ちに独特の熱心さで捜査にとりかかった。

少年の部屋が入念に調べられたが、逃げ出せる場所は窓しかないと再確認できただけで、他に手がかりはなかった。ドイツ人教師の部屋と持ち物を調べたが新しい発見はなかった。教師の場合は、ツタのツルの一本が体の重みで外れていた。そしてランタンの光で芝生の上に踵が着地した跡が確認できた。芝生の上のこの小さなくぼみが、奇妙な夜の逃避行で残された唯一の物的証拠だった。

ホームズは一人で学校を後にして、11時過ぎまで帰ってこなかった。彼はこのあたりの大きな測量地図を入手していた。そしてそれを私の部屋に持ってきてベッドの上に広げ、真中にランプを置くと、それを見ながら煙草をふかし始めた。そして時々煙が出ているパイプの吸い口で興味を持った対象を指した。

「この事件はだんだん面白くなってきた、ワトソン」彼は言った。「明らかにこの事件に関係する興味深い点が幾つもある。まず最初に、この場所の地理的特徴を理解しておいてくれ。我々の捜査と非常に密接な関係があるかもしれん」

「この地図を見てみろ。この黒い四角がプライオリ・スクールだ。この上にピンを打とう。さて、この線が幹線道路だ。学校から東西に伸びていて、両側一マイルには脇道が無いのが分かるだろう。もし二人が道を通って出て行ったとすれば、この道だ」

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「確かに」

「本当に幸運に恵まれて、問題の夜この道を通った人物についてかなりのところまで調べる事が出来る。僕がパイプを当てているこの点は、12時から6時まで地元警官が見張りについていた。ここは見て分かるように、東側の最初の十字路だ。警官は一瞬も持ち場から離れなかったと言っている。そして彼は少年や男が通れば、必ず目にしたはずだと確信を持っている。今夜この警官と話をしたが、僕には彼が完全に信頼が置ける人物に見えた。これでこちらの端は塞がれる。反対側にかかろう。ここにレッド・ブルという宿屋がある。この女主人が病気だった。彼女はマッケルトンまで医者を呼びにやらせたが、医者は別の患者の所へ行って留守だったので朝まで来なかった。宿屋の人々は医者が来るのを待って、一晩中ピリピリしていた。そして誰かが、ずっと道路に目を光らせていたようだ。彼らは誰も通らなかったとはっきり言っている。もしこの証言が正しければ、幸運にも西側を塞ぐことができる。言い方を変えれば、逃亡者はこの道路を全く使っていなかったということだ」

「しかし自転車だぞ?」私は異議をとなえた。

「その通り。その自転車にはすぐに戻ってくるつもりだ。推理を続けよう。もし彼らがこの道を通らなかったとすれば、野を横切って学校の北か南に向かったはずだ。これは間違いない。どちらの可能性が高いか比較してみよう。学校の南は、見てのとおり、広い耕作地があるが、石壁で小さな区画に区切られている。ここを自転車で行くのは不可能だ。この考えは破棄できる。北側の土地に移ろう。ここに『ラグド・ショー』と書かれた森がある。そしてもっと向こうには広大な起伏のある荒野が広がっている。ロウワ・ギル荒野だ。ここは10マイルの広さがあり、全体としてなだらかな上り坂だ。この荒野の片側に、ホールダネス館がある。道を行けば10マイルだが荒野を横切れば6マイルに過ぎない。ここは特に荒れ果てた原野だ。わずかな荒野の農民が小さな土地を保有し、そこで羊や牛を育てている。それを除けば、チェスター・フィールドの大通りに出るまでチドリとシギしか住んでいない。ここに教会、小さい家、それから宿がある。この丘の向こうは絶壁になっている。我々が調査しなければならないのは間違いなくこの北部だ」

「しかし自転車だよ?」私はこだわった。

「よし、よし!」ホームズは苛立って言った。「うまい自転車乗りなら幹線道路は必要ない。荒野には縦横に小道が横切っている。そしてあの夜は満月だった。おや!何事だ?」

扉を激しく叩く音がして、次の瞬間ハクスタブル博士が部屋に入ってきた。彼はひさしに白い山形紋がついた青いクリケット帽を手にしていた。

「ついに手がかりを見つけました!」彼は叫んだ。「ありがたい!ついに、少年にたどり着けるところに来ました。これは彼の帽子です」

「どこで見つかったのですか?」

「荒野に露営しているジプシーの荷車の中です。こいつらは火曜日に出発していました。今日、警察が彼らを探し出して家を調べました。これが発見されました」

「彼らはその帽子に関して何と言っているのですか?」

「ごまかして嘘を言っています、 ―― 火曜の朝、荒野で見つけたと言っています。こいつらはどこに少年がいるか知っています。あの悪党たちめ!ありがたいことに、彼らは全員留置場の中です。警察に恐れをなすか、公爵の財布の力があれば、間違いなく何もかも口を割るでしょう」

「まあ、いい展開だな」ホームズは博士がやっと部屋から出て行った時、言った。「少なくとも、ロウワ・ギル荒野の方で成果が得られそうだという説の裏づけになるな。地方警察に出来るのは、せいぜいそのジプシーたちを逮捕するくらいだ。さあいいか、ワトソン!ここに荒野を横切って水路が通っている。地図のここに描かれているのが見えるだろう。所々で広がって沼地になっている。ホールダネス館とこの学校の間の地帯は特にそうだ。この乾いた天気では他の場所で痕跡を探しても無駄骨だが、この地点なら、きっと何かが残っている可能性があるはずだ。明日の朝早く君を呼びに来るよ。この謎を少しでも解明できるか、君と僕とでやってみよう」

夜が明けかけた頃、私が目を覚ますと、ベッドの横に背の高い痩せたホームズの姿があった。彼はきちんと服を着ており、どうやら既に外出してきていたようだった。

「芝生と自転車の納屋を調べた」彼は言った。「僕はまた、ラグド・ショーをゆっくりと散策してきた。さあ、ワトソン、隣の部屋にココアが用意されている。今日は忙しい一日が待っているから急いでくれ」

目の前に仕事が置かれた名匠のようにうきうきして、ホームズの目は輝き頬には赤味がさしていた。この活動的でキビキビした男は、ベーカー街の内省的で青ざめた夢想家とはまったく違ったホームズだった。私は、彼の精神エネルギーに満ち溢れたしなやかな体の動きを見た時、本当に活動的な一日が待っているのだと感じた。