出 来 事 |
1859 |
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5月22日、イングランド・エディンバラ市ピカディ・プレイスにて誕生。 |
1876 |
17 |
エディンバラ大学医科に入学。 |
1877 |
18 |
休暇でアラン島に行き、ジョゼフ・ベル教授と会う。 |
1879 |
20 |
春に短編小説「ササッサ谷の秘密」を執筆。チャンバーズ・ジャーナル10月号に未署名で掲載。原稿料3ギニー。 |
1880 |
21 |
船医見習いとして北極海に行く。報酬50ポンド。 |
1881 |
22 |
医師の資格をとる。アフリカ西岸航行のマヤンバ号の船医となる。 |
1882 |
23 |
9月にポーツマス市サウスシーのエルム・グローブ街で医院を開設 |
1883 |
24 |
「ハバーク・ジェフソンの陳述」執筆。原稿料29ギニー。 |
1884 |
25 |
「ハバーク・ジェフソンの陳述」がコーンヒル・マガジン一月号に無署名で掲載。 |
1885 |
26 |
医学博士号を取得。ルイズ・ホーキンスと結婚。 |
1886 |
27 |
「ガードルストーン会社」執筆完了。3月~4月にかけて「緋色の研究」を執筆。3社に送るも掲載拒否され、4社目のウォード・ロック社から著作権買取で25ポンドの条件を提示され、承諾。 |
1887 |
28 |
ピートン・クリスマス年鑑に「緋色の研究」が掲載される。 |
1888 |
29 |
「マイカ・クラーク」脱稿。 |
1890 |
31 |
「四つの署名」がリコンピット2月号に掲載される。「白衣の騎士団」完成。12月下旬、ウィーンへ眼の研究に行く。 |
1891 |
32 |
3月下旬、ウィーンからイギリスに戻り、ロンドンで眼科専門医として開業。患者は一人も来ず、作家業に専念する決意をし、6月にサウス・ノーウッドに引っ越す。ストランド誌に、「ボヘミアの醜聞」(7月号),「赤毛組合」(8月号),「花婿失踪事件」(9月号),「ボスコム谷の惨劇」(10月号),「オレンジの種5つ」(11月号),「唇のねじれた男」(12月号)掲載。 |
1892 |
33 |
「亡命者」完成。ストランド誌に「青い紅玉」(1月号),「まだらの紐」(2月号),「技師の親指」(3月号),「独身の貴族」(4月号),「緑柱石の宝冠」(5月号),「ぶな屋敷」(6月号)掲載。「巨大な影」脱稿。男児出生。ストランド誌に「白銀号事件」(12月号)掲載。 |
1893 |
34 |
ストランド誌に「ボール箱」(1月号),「黄色い顔」(2月号),「株式仲買店員」(3月号),「グロリア・スコット号」(4月号),「マスグレイヴ家の儀式」(5月号),「ライゲートの謎」(6月号),「背中の曲がった男」(7月号),「入院患者」(8月号),「ギリシャ語通訳」(9月号),「海軍条約文書」(10,11月号),「最後の事件」(12月号)掲載。 |
1896 |
37 |
「ジェラール代将の功績」出版。 |
1897 |
38 |
ハイド・ヘッドの邸宅アンダーショーに引越し。 |
1898 |
39 |
詩集「行動の歌」出版。「狐の王様」掲載。 |
1899 |
40 |
ボーア戦争勃発。義勇兵に志願するも拒否される。 |
1900 |
41 |
4月南アフリカに行く。「戦争の示した若干の軍事的教訓」発表。7月イギリスに帰国。国会議員に立候補するも落選。「大ボーア戦争」出版。 |
1901 |
42 |
ストランド誌に、「バスカヴィル家の犬」(8月号~翌年4月号)連載。 |
1902 |
43 |
「南アフリカの戦争―その原因と行動」出版。ボーア戦争終結。ナイト爵位を授与される。「ジェラールの冒険」「赤い灯火をめぐって」出版。 |
1903 |
44 |
ストランド誌に「空き家の冒険」(10月号),「ノーウッドの建築業者」(11月号),「踊る人形」(12月号)掲載。 |
1904 |
45 |
ストランド誌に「孤独な自転車乗り」(1月号),「プライオリスクール」(2月号)、「ブラック・ピーター」(3月号),「犯人は二人」(4月号),「6つのナポレオン」(5月号),「三人の学生」(6月号),「金縁の鼻眼鏡」(7月号),「スリー・クォーターの失踪」(8月号),「アビ農園」(9月号),「第二の汚点」(12月号)掲載。 |
1906 |
47 |
ストランド誌7月号に「ナイジェル卿」連載開始。 |
1907 |
48 |
「ジョージ・エダルジ氏の立場」出版。 |
1908 |
49 |
ストランド誌に「ウィステリア荘」(9,10月号),「ブルースパーティントン設計書」(12月号)掲載。 |
1909 |
50 |
「コンゴーの犯罪」出版。 |
1910 |
51 |
ストランド誌に「悪魔の足」(10月号)掲載。 |
1911 |
52 |
ストランド誌に「赤い輪」(3,4月号),「レディ・フランシス・カーファックスの失踪」(12月号)掲載。 |
1912 |
53 |
「オスカー・スレーター事件」出版。「失われた世界」出版。 |
1913 |
54 |
「大英帝国と次の戦争」出版。ストランド誌に「瀕死の探偵」(12月号)掲載。 |
1914 |
55 |
ストランド誌に「危険!」(7月号)掲載。ストランド誌に「恐怖の谷」(9月号~翌年5月号)掲載。 |
1917 |
58 |
心霊学の公演を始める。ストランド誌に「最後の挨拶」(9月号)掲載。 |
1918 |
59 |
「新しい啓示」出版。 |
1919 |
60 |
「生命の言葉」発表。 |
1921 |
62 |
ストランド誌に「マザリンの宝石」(10月号)掲載。母死去。 |
1922 |
63 |
ストランド誌に「ソア橋」(2,3月号)掲載。 |
1923 |
64 |
ストランド誌に「這う男」(3月号)掲載。ストランド誌に自伝「回想と冒険」連載開始。 |
1924 |
65 |
ストランド誌に「サセックスの吸血鬼」(1月号)掲載。 |
1925 |
66 |
ストランド誌に「三人ガリデブ」(1月号),「高名な依頼人」(2,3月号)掲載。 |
1926 |
67 |
ストランド誌に「三破風館」(10月号),「白面の兵士」(11月号),「ライオンのたてがみ」(12月号)掲載。 |
1927 |
68 |
ストランド誌に「隠居絵具師」(1月号),「覆面の下宿人」(2月号),「ショスコム・オールド・プレイス」(3月号)掲載。 |
1930 |
71 |
死去。 |